育った家庭に比べれば「芸能界はまともな世界」…人気ギタリストが語る“特殊な”生育歴「日常で母を思い出すことは皆無」
GACKTやHYDE、Toshlなど誰もが知る一流アーティストたちのサポートギタリストを務め、また自身も腕利きのミュージシャンとして知られるMiA氏(33歳)。前編の記事では人体改造を繰り返す彼の、「普通でいたい」本音を聞いた。その背景には、奇抜な母親の存在があるとMiA氏は話す。後編ではMiA氏の生育歴について掘り下げる。 ⇒【写真】GACKTやHYDE、Toshlなどのサポートギタリストも務めるMiA氏
温厚で優しい父と対照的な母
――人目を惹く外見と裏腹に、奇抜な人生には憧れないとのことですが、それにはMiAさんのお母さんの存在が影響しているとか。生育歴について詳しく伺えますか。 MiA:私は神奈川県川崎市という場所で生まれました。母が私を生んだ年齢は17~18歳くらいで、かなり若いときだったようです。私が記憶している母は、酒に酔って暴れていることの多い女性でした。父はとても温厚で優しく、でも母の暴力への抑止力にならない頼りない人でもありました。いつも母のことを「本当はいいやつなんだけど」と言っていたのですが、実害を受けている子どもの立場からすると、守ってもらえない歯がゆさがありましたね。
当時の川崎市には「似たような子たちがたくさんいた」
――手がつけられなくなったときのお母さんの様子について聞かせてください。 MiA:殴る蹴るはもちろんありましたが、目の前でリストカットをしたり、包丁を振り回したり、酔っ払って「家を燃やしてやる」と怒鳴り散らしたり、あとは突然車に乗せられて150キロのスピードで走ったり……。今いろいろな知識を得て振り返れば、母には何らかの疾患があったのかなと思うんですが、当時はひたすら恐怖なんですよ。 小学校2年生くらいになると、「この人は自分で何がしたいのかわからないんだろうな」と思ってみていました。そのうち、自宅に帰りたくなくなって、夜もたむろしたりするようになって。当時の川崎市は結構荒れていて、似たような子たちがたくさんいました(笑)。
打ち込めるものを探すうちにギターを始める
――進学した中学校も、荒れていたのでしょうか。 MiA:荒れていましたね。新設校だったのですが、先生たちも手探り状態だったようなところがあって、生徒がやりたい放題やっていたように思います。私も一応登校していたものの、午後から行く重役出勤で(笑)。窓ガラスが割れたり、他校との喧嘩があったり、まるでヤンキー漫画の世界ですよね。喧嘩は本当に嫌でした。勝っても負けてもいいことが何一つありませんから。でも参加しないのはもっとダメみたいな空気もあって、何のためにやってるんだろうみたいな(笑)。 でもそんななか、中2でギターを始めたんです。親戚のおじさんがギターをやっていて、その人からいろいろと教えてもらいました。今思えば、家庭環境があまり良くなかったため、打ち込めるものを探していたんだと思います。 ――MiAさんは高校生の頃にはもう、デビューしていますよね。ミュージシャンとしてはかなり芽が出るのが早い印象です。 MiA:そうですね、とても幸運なことに高校1年生のときにとあるバンドのサポートメンバーに選んでいただきました。その後は目黒鹿鳴館でアルバイトをしつつ演奏活動を続けていましたね。通っていた高校は東京都の日出学園(現在は目黒日本大学高等学校に校名変更)で、芸能コースが有名な高校でした。何より楽だったのは、家族と顔を合わせなくて済むことですね。同じ芸能コースの友人の自宅に居候しながら通学していたので(笑)。結局、プロとしての活動も本格化したため、高校も半年ほどで退学するのですが、現在でも当時の仲間と集まるし、私にとっては居場所の1つなのかもしれません。