プロでも観たかった…“甲子園のスター”だった天才投手(6)右肩のけがは甲子園の“代償”も…?
第106回全国高等学校野球選手権大会は、京都国際(京都)の初優勝で幕を閉じた。今夏も、数多くの高校球児が聖地で躍動。中には、一躍プロ注目選手に名を上げた逸材も現れた。一方で、過去には夏の甲子園で華々しい活躍を見せるも、プロの世界に進まなかった選手も少なくない。ここでは、プロ入りしなかった天才投手を紹介したい。
吉永健太朗(日大三)
魔球・シンカーを武器に、2011年の甲子園優勝投手となった吉永健太朗。しかし、大学進学後は故障に苦しみ、プロの世界に進むことはなかった。 日大三高では2年秋からエースを担うと、高山俊、横尾俊建らとともに3年春のセンバツ甲子園では4強入り。同夏の甲子園は準々決勝・習志野戦、決勝・光星学院戦(現:八戸学院光星)で完封勝利を記録し、全国制覇を達成した。 エースとして大車輪の活躍を見せ、甲子園では春夏合わせて9勝をマーク。高校日本代表にも選出されるなど、名実ともに世代を牽引する存在となった。 ドラフト上位指名が有力視されたが、プロ志望届を出さずに早稲田大に進学。1年春からリーグ戦に登板し、いきなり最優秀防御率のタイトルを獲得。鮮烈な大学デビューを飾ったが、故障や投球フォームを崩したこともあり、2年時以降は成績を落とした。 最終的に大学卒業時はプロ志望届を提出せず、JR東日本に入社。社会人では一時野手に転向するなど、試行錯誤を続けたが、在籍4年間で現役引退を決断した。
ベースボールチャンネル編集部