計画案に厳しい指摘も…求められる顧客目線 負債約360億円から事業再生目指す鹿児島の老舗百貨店・山形屋の今後【後編】
約360億円の負債を抱え経営が悪化している鹿児島唯一の百貨店「山形屋」。再建計画がスタートし抜本的な経営改善に取り組んでいくことになった。百貨店業界が全国的に厳しい状況に置かれる中、県内唯一の百貨店が閉店した島根の現状から、山形屋の今後について考える。 【画像】百貨店が1つしかない県(黄色)は16県にのぼる
閉店で「近くに代わるお店がない」
日本百貨店協会によると、加盟する百貨店の数は、ピークの1999年には全国に311店あったが、その後、地方を中心に閉店が相次ぎ、5月10日時点では167店と、ピーク時の半分ほどに減少。鹿児島県内でも、2009年に三越鹿児島店が業績悪化を理由に閉店した。 百貨店が1つしかない県は鹿児島、宮崎など16県。そして、百貨店が存在しないのが山形と徳島、島根の3県で、ここに7月、岐阜も追加される見込みだ。 そのうちの1つ、島根を訪ねた。 JR松江駅前にあった「一畑百貨店」は、2024年1月に閉店したが建物は残されたままになっている。 一畑百貨店は地元の鉄道会社が1958年に開業した。ピーク時の2002年には約108億円の売り上げを記録したが、2023年には43億円と激減し、9期連続の赤字となった。 業績悪化の理由に挙げられるのは、大型商業施設の出店やインターネット通販の台頭など、山形屋と似ている。若者の取り込みを狙ったテナントの誘致が不調に終わり、親会社が閉店を決めた。 川内孝治社長は「単一の地方百貨店ではテナントに出店いただけない。これが現状であった」と語る。 閉店から約4カ月。町の人からは「人に贈るものとかお歳暮、そういうものを買っていた。島根県には百貨店がないのはやっぱりさびしい」「近くに代わるお店がそんなにない。やっぱり一畑百貨店は大きな存在だったのだと思う」との声が聞かれた。
ショックで涙…テナント側への影響
地元百貨店の閉店の影響は利用者だけにとどまらない。 1809年に創業した菓子店「桂月堂」は、一畑百貨店の開業当時からテナントとして出店し、贈答用の商品などを販売していた。 一畑百貨店の売り場担当者だった安達和代さんは「『夕礼をします』と言われて集まったら『閉店のことがこのあと報道されます』と。ショックで涙が出ました。定年するまで過ごしたいと思っていたのに。それが残念で、残念で。泣いて帰りました」と振り返った。 桂月堂の中でも百貨店内の店舗は売り上げが多かったため、その減少分をカバーするための対応が続いている。 「一畑百貨店のテナントは、支店の中でもトップ3に入る売り上げがあった」と語る11代目代表の小西伸明さんは、「県外に営業に出たりして、県外の百貨店などで仕事を取っていく。そういう所に今まで以上に注力してやっている」と話す。 松江駅前のビルにある学生服メーカー「山陰菅公学生服」は、一畑百貨店で松江市内の約30校の学生服を販売してきたが、閉店の知らせを受け、百貨店の目の前にある場所で直営店を構えることにした。 中田典己営業部長は「1番は学校、消費者の方に不安を与えないようにしなければならない。2023年並みのお客様に御来店いただけるのか正直不安だったが、予想以上のお客様に足を運んでいただき、何とか認知してもらえたのかな」と現状を語る。