『ガールズ&パンツァー』でも話題の「クリスティー式サスペンション」を発明した天才エンジニアが辿った苦難の道! 戦車開発がブレイクスルー
第一次世界大戦の勃発により自動車関連技術を陸戦兵器の開発に活かす
前回も語ったとおり、1912年にクリスティーはFWD消防車を開発し、これがある程度成功したことで、彼が経営する「クリスティー・ダイレクト・アクション・モーターカー・カンパニー」(以下、CDAMC)の事業はやっと一息ついていた。 そんなクリスティーのもとに欧州から彼の運命を変える大きなニュースが届いた。1914年7月に勃発した第一次世界大戦である。当初、この戦争は「この年のクリスマスまでに終わる」と楽観視されていたが、当時の複雑な国際情勢も絡んで戦闘はますます激化し、さまざまな新兵器が投入されたことから、戦場はこれまでに前例のない陰惨なものとなって、長期化を余儀なくされた。 当初、クリスティーの母国アメリカは中立を保っていたが、ドイツのUボート(潜水艦)による「ルシタニア号事件」(英客船が無警告で撃沈された事件)によりアメリカ人乗客128名が犠牲になると、同国の世論はドイツに対する非難の声が高まった。 さらに、ドイツがメキシコに対して中央同盟国入りを持ちかけた際に、その見返りとして参戦が予想されるアメリカに勝利した暁には、米墨戦争で失ったテキサスを領土回復させるとの密約を持ちかけたことが米諜報機関によって白日の元にさらされたことと、その後も続いた無制限潜水艦作戦で米商船3隻が撃沈されたことが決定打となって1917年4月にアメリカはドイツに対して宣戦布告をした。 愛国者であり、アメリカが遠からず参戦することを予期していたクリスティーは、戦争の勃発とともに米陸軍のための兵器開発に乗り出し、1916年に米陸軍兵器委員会に試製4WD自走高射砲を提出している。 だが、同委員会は兵器に関する厳格なガイドラインを規定しており、それを時代遅れで非合理なものと受け止めたクリスティーは要件に合わせた改修を拒絶。クリスティーの頑固さと官僚機構に対する彼の反発心はその後のキャリアに暗い影を落とすことになる。