「紫式部のすごさとは?」精神科医で作家の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)が紡ぐ“本物の『源氏物語』”
「帚木(ははきぎ)源氏」の登場
「帚木」も「蓬生」も『源氏物語』の章のタイトルから借用してペンネームにしたほどの『源氏物語』好きです。今回、なぜ源氏をテーマにしたのか、聞いてみました。 帚木:12~13年前、編集者から「源氏物語について書いてください」と(言われました)。 その時はミステリーでという話でした。私はミステリー作家でしたから。 「うわー、源氏ですか」と言ったら、「帚木さんは、ペンネームをそこから採られているでしょう。責任がございませんか?」と。「責任?これはまいったな、責任かー」と。 だんだん後から効いてきましてね。コロナが始まる前ごろから、「そうか、やっぱり書いておかないと…」と思って書き始めた時、単なる紫式部の物語というより、「紫式部がどうやって源氏物語を書いたのか」を書こうと思ったんです。これは誰も手を付けてない。 帚木:谷崎(潤一郎)とか円地(文子)の(現代語訳が書かれた)時は、紫式部に関する学問的な研究が進んでないです。それ以降いっぱい進んでいますからね。女房の世界はこうだったとか、紫式部の愛人はこうだったとか、1回か2回結婚したのはこうだったろうとか、越前に行ったとか、どんどん出てきていますから「今こそ、私が書ける時代だな」と思いましたね。時代的によかったと思いますよ。前の世代の作家よりは。 原文を、現代人にもわかりやすく書く。これが現代語訳の意味でしょう。 一章を書き終わった紫式部が「今回は、出来があまり良くなかったな」と言ったり、その章を筆写する仲間の女性たちと意見交換をしたり、そんなシーンが小説に入ってくるので『源氏物語』本文の中身がすっと頭に入ってきます。
『源氏物語』の人物描写は空前絶後
帚木さんは、『源氏物語』は1000年も前の小説なのに重層的な構造になっている、と解説しています。 帚木:(現代語訳は)原文をデフォルメ、変えて面白くおかしくした作家ばかりですよ。谷崎(潤一郎)も円地(文子)もそうだし、与謝野(晶子)も田辺(聖子)、(瀬戸内)寂聴にしても。私は、それは冒とくだと思います。有名な作家たちの『源氏物語』は、和歌や漢文を入れていないんです。物語ですーっと行っていますけどね、これは悪いですよ。紫式部の『源氏物語』を壊していますから。だから、「和歌をピシッと入れよう」と私は思ったんですね。 帚木:紫式部はものすごい人物の描き方をしているんですね。 1人の人物を出すでしょう?人物は、心の中であれこれ考えるんですね。優柔不断と言えば優柔不断です。「Aでもない、Bでもない、Cでもない」と。 それで、発言しますね。発言には大体ウソが多いですよ。 しかし、本音は、和歌にしているんです。ビシ―ッと。 神戸:3層の構造になっている? 帚木:なっているんです。それで人物に深みが出ているんです。3層構造の人物描写というのは、日大の(林真理子)理事長でもできないでしょうね。 神戸:「心のうち」をまず文章に書いていて、それが発言として言葉に出てきた時は少し表面的なものに。 帚木:そう、嘘が混じっていたり。 神戸:ところが、和歌になると本音が出てくる。 帚木:「悲しんでおります」とか。その手腕たるや…。和歌を入れないとそれは出てきませんから、ちゃんと入れているんです。