電車の車掌になった元甲子園のヒーロー、一人の駅員として人と接する日々に「新鮮で楽しかった」
「社会人野球をやった経験は間違いなく大きいです。プロで1試合は143分の1という考え方ですが、社会人は一戦必勝のトーナメント。そこでどう勝つのかという考えは間違いなく生きています」 そう語るのは、現在・京都大学野球部の監督を務める近田 伶王氏(34)。報徳学園のエースとして甲子園で躍動した近田氏は、ドラフト3位でソフトバンクに指名されるも、わずか4年で戦力外に。夢だった野球指導者になるべく勉強を始めようとした矢先、JR西日本からオファーが舞い込む。経験の幅を広げるため、もう一度プロを目指すため、近田氏は社会人野球の舞台に乗り込んだ。 【動画】杉内俊哉さんの自主トレはレベルが違った。甲子園のスターが明かすホークスでの4年間
デッドボールを狙ってぶつかってくる社会人の打者たち
――社会人ではサイドスローから投げていましたが、これはどういう理由があったんですか? 近田 高校の時にイップスを発症していたのもあって、上から投げる感覚を忘れてしまったんです。サイドスローだとしっかりと腕が振れたので、それで勝負することになりました。 ――サイドスローになって投球スタイルは変わりましたか? 近田 そこは変わりません。高校時代から武器だったスライダーで勝負していました。 ――社会人野球の打者はどうでしたか? 近田 レベルが高かったですね。最初は真っ直ぐとスライダーのコンビネーションで抑えられると思っていたんですけど、やはりそう甘くありませんでした。 社会人野球はトーナメント制で、都市対抗野球に出るのが最大目標になります。一戦一戦がとても大事になるので、どの打者もインコースギリギリを投げると、自分から死球狙いで当たってくるんですよね。「自分はケガしてもチームが勝てばいい」みたいな感じで。個人成績が年俸や来季の契約に直結するプロとは違いますよね。最初はそのスタイルの違いに苦労して、社会人野球は甘くないなと思いました。 ――都市対抗に出場されましたが、どうでしたか? 近田 シンプルに応援していただけるとありがたいなと思いました。そして都市対抗を経験して、社会人野球の良さを再認識することができました。会社の代表として大会に来ているので、会社のために勝とうとマウンドに立つ事ができたのは非常に良かったと思います。 ――25歳で引退。やりきった感覚があったのですか? 近田 やりきった思いもありますし、NPBのスカウトに「復帰はありますか?」と聞いたら「厳しい」という評価でしたので、「もういいかな」と思って。それであれば、後輩たちにチャンスを譲ったほうが良いかなと思って、引退を決断しました。 ――後藤寿彦監督に指導者になるために社会人野球のプレーを薦められ、その中で近田さんはプロを目指しながら3年間プレーしました。実際にその経験はどうでしたか? 近田 社会人野球は一発勝負なので、その厳しさをすごく感じました。その試合にかける思いを実感できたのは、今は大学野球の指導者としても役立っています。プロは143試合やるなかで、どれだけ勝率を挙げられるかという捉え方ですが、社会人野球は一戦一戦勝つのか。それを経験出来たのは良かったです。