「持たない暮らし」が人間本来の生き方である理由 定住や所有のない「第2のノマディズム時代」
その結果、モノが人を分断するようになってしまいました。持っている人と持っていない人との格差が生まれているのです。 本来、モノは、人と人とを繋ぐものでした。それを人から預かることによって、「その人がどう使っていたのか」という感触が自分に移る。モノが移ったことによって、その人と繋がることができたわけです。 着物がその例でしょう。私の妻の実家は、築150年以上の家で、タンスの中には、昔の人が着ていた着物がたくさん眠っています。歴史があり、それを子孫に渡すことができるのです。着物を仕立て直して、娘に着せてやったこともあります。
人と人は、そうやって世代を超えて繋がるはずでした。ところが、今は、モノをどんどん入れ替えなければならなくなった。電気製品などがその典型です。 しかも、その価値はマーケットが決めている。つまり、人々は、マーケットの価値を背負って生きているわけです。そんなものは、本来の人間の生き方ではない。 『「組織と人数」の絶対法則』に書かれている「ダンバー数」は、実は、現代の狩猟採集民の平均的な村の規模なのです。現代人として脳が大きくなっても、その数をずっと維持してきた人々が、狩猟採集民であるとも言えるでしょう。
農耕牧畜という生活を嫌って、自然の恵みを拾い上げながら各地を移動してきた人々であり、その暮らしは、現代人の心身にも埋め込まれているのです。 我々はまだ、定住や所有という暮らしには慣れていない。だから暴力が起きる。そのことを、もう一度思い返さなければなりません。 (構成:泉美木蘭)
山極 壽一 :総合地球環境学研究所所長、霊長類学者