「同期のアイツの方が出世が早い」→住職の教え「嫉妬の反対語は…」が納得感しかなかった!
まったく嫉妬されない、あるいは関心を持ってもらえないとなんだかさみしく感じてしまい、「自分は愛されていないのか?」と思ってしまったりするのではないでしょうか。 ちょっとはヤキモチを焼いてもらいたいけど、焼かれすぎるのも億劫で嫌。 これは人間特有の面倒くさい感情かもしれませんね。 嫉妬も捨てられる嫉妬と、捨てられない嫉妬に分けられます。 自分の恋人が浮気をしているとなったら、それは「自分のパートナーを取られたくない」という動物的な本能なので、嫉妬してしまうのはやむを得ないでしょう。 一方で、人間にとってやっかいな嫉妬というのは、そういった性(さが)のような本能にかかわらないものです。 「同期のあいつのほうが早く出世している」 「友達が自分よりも華やかで楽しそうな生活をしている」 「隣の家族は高い車を何台も持っている」 こういった感情は動物的な嫉妬ではなく、これまで生きてきたなかで得た情報や知識の組み合わせによって生まれる嫉妬です。 「こういう暮らしをすることが成功者の証だ」「より望ましい人生だ」という世間の価値観や刷り込みによるものであり、錯覚ともいえるでしょう。
要するに、他人と自分を比べて下す評価なので、人間が社会的な動物であるがゆえに生まれてくる嫉妬ということです。 ● 仏教では「嫉妬」の反対語 として「喜び」を置いている 「すぐに人と比べて嫉妬してしまう自分が嫌」 それこそ現代ではSNSなどで他人の生活や行動が丸見え状態なので、不必要な嫉妬の感情を抱いてしまう方が多いのも無理はありません。 じつは嫉妬に対する処置は至ってシンプル。 「他人の喜びに対して、あなたも一緒になって喜んであげること」 これが最も効果的です。 ただ、誰しもどうしても競争心があって、ついつい相手を妬ましく思ってしまうものなので、なかなかすぐにはできないでしょう。 例えば、私たちはオリンピックを見ながら「頑張れ!」とスポーツ選手のことを応援したりしますよね。 まったく知らない赤の他人なのに、金メダルを取ると「やったー!」とその活躍ぶりをみんなで喜びます。 そもそも仏教では「嫉妬」の反対語が「喜び」なので、「自分ごとのように、本当に喜んであげることを練習しなさい」とブッダも説いていました。 嫉妬は怒りの一種であり、毒のひとつですので、ずっと持ち続けると心を破壊していきます。