感じる力は地頭を超える。従来型エリートを出し抜くのは「バッタの触覚 」
地頭は古い? 感じる力の時代に
覚える力→考える力→感じる力と、人材に求める能力ニーズが移っています。もちろん、覚える力も考える力も大切なのは変わりません。しかし、これらに偏るあまり、感じる力を削いでいませんか? 地頭(じあたま)がコンサルティング業界などでよく言われるようになりましたが、知識偏重では限界ありと思考力が注目されて流行った言葉です。しかし、筆者はやや違和感を覚えていました。考える力は大切だが、それだけでいいのか? コンサルティング会社など雇用側の特定業務に合わせると、人材ニーズはバランスでなく「求める能力の高低」で選ぶことになります。すると、他の部分は低いことがままあります。例えば、人格や人とのリレーションや組織スキルなどが欠けていても採用されることがあるのです。論理構築力にフォーカスして、感じるセンスは見ない、といった感じです。 筆者の古巣のボストンコンサルティンググループ(BCG)で、上場企業社長を務めた大先輩の「BCGは、コンサルタントしかできない人と実業に行ける人と二つに分かれる」との言葉が印象に残っています。 BCGではありませんが、筆者はいくつかのプロジェクトで、おや?という例を目撃しました。学歴・職歴申し分なく優秀だと思われている人なのに、ぜんぜんダメなことが何度かありました。まるでハサミで触覚を切られたバッタのようなのです。 ある程度は方向が見えることには強いようでしたが、未知の要素が多く、進行方向が見えないと普通の人よりダメなのです。新しいテーマ・分野、新しい人・チームなど、予見しにくい要素がいっぱいだと、地頭より先にバッタの触覚のようなセンサーがないと始まりません。 ある地頭力の専門家は、「地頭力を発揮するためにはある程度『性格が悪く』なる必要がある」といいます。 「地頭力では一貫性(論理的であること)を重視するのに対して、対人感性力では相手の矛盾を許容することも大切です。地頭力では『まず疑ってかかる』のに対して、対人感性力では『まず共感する』ことが求められます。また、地頭力では『批判的に考える』のに対して、対人感性力では『批判はしない』のが求められる姿勢だからです。」(『入門『地頭力を鍛える』(細谷功著、東洋経済新報社)。 「まず疑ってかかる」「批判的に考える」のでは新事業を起業したり育んだりするどころか、ツブしがちになります。つまり、「ハサミで触覚を切られたバッタ」のエリートは「地頭力を発揮し、批判的に考えてしまう」。地頭くんはロジック偏重で、問題指摘に偏ることが多いのです。 まず感じる、そして感じたことから判断して舵を切る。バッタなど虫は、触覚で匂いを感じたり空間認識します。これまで重視された思考力とは異なる、この様な感じる力が不可欠です。でもこれは赤ちゃんのころからほとんどの人にある力です。これまで削いできたりフタをしてきたセンサーを復活させてみませんか。
本荘 修二