若者を大事にしない高齢ニッポンが、大復活するために必要な「英才教育」という切り札
若くして職人技を学ぶ人も不可欠
英才教育については、すでにスポーツ分野において、強化指定選手を選考するなど一歩踏み出しているが、スポーツに限らず、芸術や研究分野においても求められるだろう。英才教育は明治時代には盛んに行われていた。西洋の技術を取り入れるべく、優秀な若者を国費留学させ、あるいは外国から招いた専門家に学ばせた。 こうして専門知識を身に付けた若い世代がそれぞれの分野のリーダーとなって後進の育成に努め、近代国家としての礎を築いていった。「社会の老化」という国家の病巣が露呈した中にあって、再び我が国の礎を築き直さなければならない。国家戦略として、少なくなる有意な人材の才能を伸ばす政策を講じなければ、あらゆる分野で衰退を招くだろう。 一方、「国家として必要な分野」の人材の育成をするには、大学など教育機関側の役割も大きく変えざるを得ない。多くの大学は組織維持のために受験生が関心を持つような学部名に変えたり、短期大学を四年制大学に改組したりといったことを繰り返してきた。 だが、「社会の老化」を跳ね返すには、優秀な学生を育成し得る大学に集中的に予算を投じるべきだ。一人一人にかける教育のレベルと質を高め、より高度な能力を持つ人材として育てることが求められる。 他方、英才教育でリーダーとしての役割を担う人材や「国家として必要な分野」の人材だけを育成していたのでは世の中は回らなくなる。日常生活を支える技術者や職人が不足したら、社会は機能しなくなるからだ。 あらゆる分野で人手不足が広がっていくことを考えれば、若くして職人技を学ぶ人たちも不可欠である。そこで同時に、身に付けた技能が社会的ステータスとして正しく評価される認定制度を国としてつくり、相応の収入を得られるような仕組みを整える。 ここまで、日本の好機を生かすための切り札を提言してきた。若い世代は「国の宝」であり、その輝きが少しでも増すように後押ししなければならない。そして、「国の宝」がその数を減らしていく以上、なるべくバラバラにしないようにすることだ。 若い世代は人数が少なくなってきたといっても、寄り集まりさえすればまだまだそれなりの規模となり、パワーを発揮し得る。膨大なエネルギーと可能性を秘めた若い世代が伸び伸びと活躍できる場をつくり、そこで無数の才能が融合したとすれば、「社会の老化」を押し返すばかりか、日本の苦境を希望に転じることだって必ずできるのだ。 つづく「日本人はこのまま絶滅するのか…2030年に地方から百貨店や銀行が消える「衝撃の未来」」では、多くの人がまだまだ知らない「人口減少」がもたらす大きな影響を掘り下げる。
河合 雅司(作家・ジャーナリスト)