与謝野晶子が考える、現代に通じる<愛のかたち>とは。「真に深く愛することは、真に深く生きること」
今年1月からNHKで放送中の大河ドラマ『光る君へ』。主人公は平安時代のベストセラー『源氏物語』を書いた紫式部。そんな彼女と同じように、近代の女流歌人として活躍し、『源氏物語』の翻訳を3度試みた与謝野晶子。今回は与謝野晶子が書いた評論集の中から、選りすぐりの言葉や詩を紹介します。与謝野さんいわく、「愛は成長する可能性をもっている」そうで――。 【書影】今こそ読みたい、与謝野晶子の美しく力強い言葉の数々『与謝野晶子 愛と理性の言葉』 * * * * * * * ◆愛は訓練されなければ 人生においては、訓練や努力なしには、何ごともなし遂げられません。 人生の完成を望む人は、自分の品性、そして周囲の人々をよりよいものにするために、さまざまな悲痛にも耐えなければなりません。 愛もまた必ず訓練されなければならないものです。 愛は成長する可能性をもっています。 その可能性をできるだけ大きくするために、私たちはみずからを訓練するのです。 母として子を愛するにしても、素朴で本能的な愛のままでは、動物の母親が子どもを世話する程度の愛にとどまるでしょう。 訓練によって、聡明さと綿密さ、そして人間的な深みが加わっていき、人間の母としての愛が完成されます。男女間の愛もまたそうなのです。 「愛の訓練」(『愛、理性及び勇気』より)
◆深く愛して深く生きる 真に深く愛することは、真に深く生きることです。 誰かを、あるいは何かを真剣に愛さない人には、自分の生命の尊厳とエネルギーを体験することはできないでしょう。 また、そういう人は、人生を断片的に生きるに過ぎません。 人生全体を直感的にとらえる喜びは、愛のなかからだけ汲みとることができるのです。 愛さなければ、一つの美術品の美しさを心の底から受けとめることはできません。 愛がなかったならば、男が女を、女が男を、友が友を、親が子を、子が親を理解することができるでしょうか。 愛を基礎としない思想はすぐれた思想とはいえず、愛のともなわない経験は豊かな経験ではないのです。 「愛の訓練」(『愛、理性及び勇気』より)