小倉智昭「裸の女性」実況がきっかけで退社していた テレビが「不適切」であふれていた時代の秘話
人気ドラマ「不適切にもほどがある!」で度々ネタにされていたのが、昭和のテレビ番組。地上波では絶滅危惧種となったセクシーな番組に男子もおじさんも夢中な様が描かれている。 【写真を見る】生放送のセクシー番組で“裸”で走り回った姿が放送されてしまった芸能人
この手の番組の代表格は「11PM」(日本テレビ)と「トゥナイト」(テレビ朝日)だが、「独占! 男の時間」(東京12チャンネル・現テレビ東京)を挙げるマニアックな方もいることだろう。1975年から76年まで1年間だけ放送された山城新伍司会の同番組に、局アナとして出演していたのが、のちに「情報プレゼンター とくダネ!」MCなどで活躍する小倉智昭さんだ。 そして実は小倉さんがフリーになったきっかけが、この番組が「俗悪」だったことと深い関係があるという。小倉さんが反省を語った著書『本音』(古市憲寿さんとの共著)から、現代の目から見れば「不適切」が日常だった昭和のテレビ界にまつわる秘話を見てみよう(以下、同書をもとに再構成しました) ***
〈アナウンサーを目指した小倉さんは、民放キー局を受けるも合格できなかった。たまたま新聞で東京12チャンネルのアナウンサー追加採用の広告を目にして受験し、同局に入社することになった〉 テレビ東京は、僕が入った頃は東京12チャンネルという名前でした。もともとは日本科学技術振興財団テレビ局という形でスタートして、入社した頃がその名前。辞めて数年後にはもうテレビ東京になっていたのかな。 ともかく、そういう成り立ちだから、スタート時には全体の8割は教養関係の番組じゃなきゃいけなかった。テレビ朝日もまだ日本教育テレビという名前で、同じような感じでした。 だから競馬中継も、教養番組扱いだったんですね。めちゃくちゃな基準でしょう(笑)。 視聴率が他局と比べてかなり低くて、話題になる番組はひどいものばかり。僕が5年目くらいの頃に人気だったのが、山城新伍さん司会の「独占! 男の時間」です。