築116年の日本家屋が新たにオーベルジュとしてオープン。和華蘭文化の息づく長崎で新旧もつなぐ〈陶々亭〉
コロカルニュース
■卓袱(しっぽく)中華の料亭跡地を生かしたリノベーション 長崎市内の緩やかな坂道に面した場所に築100年以上の日本家屋を再生したオーベルジュが誕生しました。古い床板や建具の一部、欄間などを残しながら、モダンファニチャーの代表作やアート作品を設置した建物では宿泊はもちろん、長崎の厳選した食材を使うイタリアンが地元を代表する焼き物、波佐見焼のお皿でいただけます。 【写真で見る】歴史、趣を感じさせる主屋のリビングと縁側。縁側の手すりや床板は当時のものが生かされている。 長崎は、江戸時代の鎖国政策下において唯一、国際貿易が許され日本と中国、主にオランダやポルトガルなど、ヨーロッパの文化が融合した和華蘭文化が発展。独自の食文化にもつながりました。 〈陶々亭〉の建物は1908(明治41)年、貿易商の住まいとして建てられ、戦後間もない1949(昭和24)年から〈中華料亭 陶々亭〉として営業していました。 料亭では大勢で取り分ける卓袱中華を提供。宴会だけでなく結婚式や両家顔合わせといった晴れの日にも利用されてきた地元の人たちにとって、思い出の多い店でした。 しかし店を切り盛りしてきた料理長と女将夫婦の高齢化により、2020(令和2)年、惜しまれながらも約70年続いた料亭としての営業を終了することに。現代では再現が非常に困難と言われる、文化財的価値の高い日本家屋が失われかねない状況でした。 そんなときに子どもの頃から建物に親しんできたオーナーの、文化財として建物を保存していくのではなく、今まで中華料亭として地元の皆様に愛され親しまれてきたように、これからも利用していただきながら愛され続ける「陶々亭」として後世へと遺していきたい、という想いで、貴重な日本家屋がオーベルジュとして生かされることにつながりました。 築から100年以上も経過した建物は、建設当時の図面が残っているはずもありません。オープンの準備には2年半以上もの時間が必要でした。工事は古民家のリノベーションに精通している、地元長崎の建設会社〈浜松建設〉が担当し、リノベーションの監修、インテリア、グラフィックは富山と東京に拠点を持つ〈51%(五割一分)〉が担当しました。 ■謎も残る建物が3つの客室とダイニングスペースに 客室は「主屋」「離れ」「蔵」の3室で、3組限定の宿となっています。 明るい主屋は、建築当時につくられた急な階段を上った2階にあります。以前は最大50人ほどが複数の円卓を囲む宴会場として使われていました。 手すりが付いている縁側や、その足元の床板は当時のもの。特に、長年の汚れが蓄積していた杉を使った縁側の床は、オーベルジュのスタッフが、床が傷まぬよう洗浄剤代わりの米ぬかと水、タオルとブラシだけで何か月もかけて磨き上げてよみがえらせました。 2階の床を取り除き、新たに階段を設置して、メゾネットの部屋になりました。 階段を新たに設置したというのは、最初は1階と2階は繋がっていなかったためです。その理由は、離れの2階が芸妓や仲居が化粧や着付けをする支度部屋で、1階は調理場の板前たちが使った部屋だったため繋がっていない方が理にかなっていたようです。 蔵は、敷地の奥にありその名の通り元は蔵として利用されていました。やはりメゾネットタイプで、壁のレンガと、なぜか階段の途中にある丸窓も建築当時のものを残しました。 蔵は3部屋のなかでいちばん小さいものの、唯一、ヒノキの浴槽を採用していることから部屋に入った瞬間からアロマオイルが焚かれているかのようないい香りが漂います。 〈レストラン HAJIME〉として、宿泊客以外も迎え入れるダイニングルームは床間もある空間で、畳を板張りに変更しました。天井高はそのままで照明を埋め込み、明るくモダンな印象に。 畳敷の個室は、料亭時代に使われた円卓が中央に配され、その上で1950年台にデンマークのデザイナー、ポール・へニングセンがデザインした照明〈PH アーティチョーク〉が違和感なく室内を照らしています。 どの部屋にもアート作品が置かれ、歴史を感じる空間に現代的な要素が加えられているのも見どころのひとつです。 今回のリノベーションでは、建築当時の窓や壁、床などを古いまま残しただけでなく、建物内に泥だらけで残されていた古材を洗浄して造作家具の一部に転用。歴史ある建物をそのまま残した箇所と新たにつくられたり加えられたりした部分や新品の家具や作品をつなぐように存在しています。