「常勝ジャイアンツ」背負う覚悟…坂本勇人・菅野智之・長野久義が語る信条
読売巨人軍の長い歴史には、燦然(さんぜん)と輝くスター選手の系譜がある。奪い、奪われる厳しいプロの世界で、彼らは不断の努力でその才能を発揮し続け、ファンを魅了してきた。12月26日で球団創設90年の大きな節目を迎えた。近年の巨人を牽引(けんいん)してきた坂本勇人(36)、菅野智之(35)、長野久義(40)の3人が、それぞれの信条やチーム愛、次代を担う後輩たちへの思いを語った。(敬称略)
チーム一筋18年 坂本勇人
「伝統いればいるほど感じる」
2006年9月のドラフト会議。坂本は、高校生ドラフト1巡目で巨人から指名を受けた。笑顔の裏で不安が渦巻いていた。「やっていけるのかな」。同じポジションの遊撃には、当時30歳の二岡智宏がいた。
幼少期は兵庫で過ごし、高校は青森へ。巨人の印象は「スター選手が多くて常に強い。若手が出場しているイメージが湧かなかった」。ドラフト当日に語った目標は「4、5年後にはホームラン30本」。時間的猶予を自分に与えていた。
だが、1年目に道を切り開く。優勝争いが佳境を迎えていた9月6日の中日戦、1―1の延長十二回二死満塁から代打で登場。追い込まれてから中前へ2点適時打を放ち、プロ3打席目で初安打、初打点、決勝打という離れ業をやってのけた。
ポテンヒットだったが、フルスイングで結果を出したルーキーの姿に、当時の主将、阿部慎之助は感銘を受けた。「あそこで打てるやつはそういない。主力になって巨人のトップを張ってほしい」。オフにグアムでの自主トレーニングに同行させ、猛練習を行うとともに技術を惜しみなく伝えた。
「あれがめちゃくちゃ大きかった」と、坂本は言う。プロになって初めて迎えたオフに超一流の自主トレを経験した。遊撃という過酷なポジションで、強靱(きょうじん)な体と屈指の技術を武器に、球史に残る選手へと成長していった原点でもある。
2年目、二岡のケガも重なり遊撃のレギュラーに定着した。当時は毎日が自分のことで精いっぱい。ただ、試合に出続ける中で思いは変わっていく。「チームを勝たさなきゃいけない」。巨人を背負う自覚は、15年に阿部から主将を引き継ぐずっと前から培われていた。