11歳で「3.11」震災被害を受けた神戸のMF郷家友太が決勝ゴールに込めた特別な思い「いいニュースを届けたかった」
慌てて追走を開始した渡辺もオマリも、もちろん何の抵抗もできなかった。体勢をしっかりと整え、右足のインサイドで丁寧にシュートを放つ余裕まで生じさせながら、3年間背負った「27番」を今シーズンから、大きな期待とともに「7番」に変えた郷家が無人のゴールに決勝弾を流し込んだ。 開始5分、そして後半20分にFWドウグラスが奪ったゴールを、同29分にオリヴェイラ、3分後には永井謙佑とともに途中出場のフォワード勢に決められて同点とされた。このまま引き分けたとしても「正直、負けに等しいと思っていた」と、郷家は唇をかみながら逆襲の機会を待った。 「ディエゴ・オリヴェイラ選手が入ってきてから、勢いがかなりFC東京さんの方に出てきたので、シュートを一本打つことでまた神戸に流れを、という意図もあって最初のシュートを選択しました。何としても勝ちたいという気持ちが、こぼれ球に自分の足をもっていかせたと思っています」 試合後に声を弾ませた郷家は、仙台港の北側に位置する宮城県多賀城市で生まれ育ち、小学生時代は地元の鶴ヶ谷サッカースポーツ少年団や、ベガルタ仙台のジュニアで大好きなサッカーに明け暮れていた。しかし、5年生の3学期が終わりかけていた2011年3月11日午後2時46分に、英語の授業を受けていた教室で経験したことのない大きな揺れに遭遇した。 一変した日常生活は「経験したから伝えます。頑張ろう東北!」と自らリプライを寄せた上で、神戸でプロになって3年目で世の中へ発信する力を得られたという理由のもと、昨年の3月11日に自身のツイッター(@GOKE_YUTA)へ投稿したつぶやきに反映されている。 「自分の家から見える大きな黒煙。1人3品までと決まっている商品を求めて、家族全員で毎日3時間並んだ日々。お世話になっていた親友のお母さんを亡くしたときの気持ち。電気が使えず、ろうそくで僅かに見える祖母の悲しそうな顔。坂を下ると海になってた。理解不能。どれだけ今が幸せか」 多賀城市を襲った津波によって、市の面積の約3分の1が浸水した。全壊および半壊した家屋は5300を超え、188人の尊い命が失われた。変わり果てた町のなかで、サッカーを続けていていいのかと自問自答を繰り返していた少年の心に、再び情熱を取り戻させたのもサッカーだった。