横浜駅弁・崎陽軒は、なぜ、駅の外にもお店が多いのか?
【ライター望月の駅弁膝栗毛】 「駅弁」食べ歩き20年・5000個の放送作家・ライター望月が、自分の足で現地へ足を運びながら名作・新作合わせて、「いま味わうべき駅弁」をご紹介します。 【写真全10枚】崎陽軒・八德敦化店(台湾・台北市、画像提供:株式会社崎陽軒)
首都圏でも、鉄道にあまり詳しくない方に、「シウマイ弁当は“駅弁”なんです」と話すと、驚かれることがあります。そのくらい、首都圏の街なかやデパ地下などで当たり前のように販売されている横浜名物「シウマイ」や「シウマイ弁当」。でも、鉄道構内営業者として、横浜駅の駅ナカで始まったお店が駅の外へ出ていったのには理由がありました。今回は、駅の「外」での展開を伺いました。
「駅弁屋さんの厨房ですよ!」第50弾・崎陽軒編(第5回/全6回)
上りの寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」が、朝日を浴びながら早朝の多摩川を渡って、終着・東京を目指します。かつては数多くのブルートレインが運行された東海道本線も、新幹線開業、さらには国鉄からJRになって、東京・横浜と湘南・静岡方面を結ぶ列車が中心となり、いま、日本で唯一の定期夜行列車として運行されるのはサンライズ1往復。時代の変化のなかに、ほんの少し、東海道の歴史を感じさせてくれる列車です。
「サンライズ瀬戸・出雲」も停車する横浜駅の東口に本社を置く、横浜名物「シウマイ」でおなじみの株式会社崎陽軒。駅前には崎陽軒本店もあり、レストランや結婚式場などを兼ね備えています。人気メニューには、お客様の声から平成16(2004)年に生まれた「ジャンボシウマイ」があり、結婚式では“夫婦初の共同作業”として、“シウマイ入刀”が行われることも。そんなレストラン事業が生まれたきっかけから、野並晃社長に聞きました。
●戦前から、横浜の「街」に飛び出していた崎陽軒!
―崎陽軒のお店が駅ナカだけでなく、街のなかにも多いのは、昭和初期に鉄道弘済会が発足して売店事業を手掛けるようになったこともあると、文献で読んだことがありますが、最初に横浜駅から「外」へ出したお店は、どんなお店だったんでしょうか? 野並:昭和9(1934)年、横浜駅東口に「崎陽軒食堂」という中華食堂を出したのが、弊社のレストラン事業のルーツとなります。いまも本店に隣接した地下街ポルタにあります。弊社としては外からの環境変化に「崎陽軒として出来ることは何か」を考え、その時代で、出来ることをやっていった結果だと思います。昭和45(1970)年に出店した「レストラン太陽」(現・戸塚崎陽軒)も車社会の進展を受け、道路沿いでもやってみようと始めたものです。 ―平成8(1996)年にオープンさせた「本店」にも、コンセプトがあるそうですね? 野並:弊社の建物改築に際し、これまで取り組んできたレストラン事業をコンセプトとした本店を作ることになりました。地下の「ビアレストラン 亜利巴”巴”(アリババ)」の呑み会で2人が出逢い、1階「ティーサロン アボリータム」でデート、2階の「中国料理 嘉宮」か「イタリア料理 イルサッジオ」で食事をしたら、3階で両家顔合わせをしてご結婚。披露宴はその上の階でと、お1人お1人に寄り添った“人生の階段”を登っていく造りにしています。