立川談志「殺しはしませんから」弟子の親に説く訳 「伝説の落語家に弟子入り」とはこういうことだ
■厳然とあった落語界の身分制度 入門が許可されたばかりの若者はまず「見習い」という立場になります。「まだこいつは信頼できない。すぐやめるかもしれねえし、楽屋泥棒するかもしれねえ」という感じでしょうか。 「まあ、大丈夫だ。楽屋泥棒はしねえだろ」という最低限の信頼が置かれて初めて「前座」になります。前座は師匠の付き人でもあり、落語会では文字どおり「前に座る」のごとくトップバッターを務めます。「前説」みたいな感じでしょうか。
落語はやらせてもらえますが、いちばんの任務は落語をやることではありません。その落語会が円滑に運営できるよう、出演者の着物を畳んだり、お茶を入れたり、座布団をひっくり返したり、出囃子を流したり、出演者の使いっ走りをしたりと、身も心も使いまくるのが任務となります。 そして、その前座という労役から解放されるのが「二つ目」というランクです。この二つ目から初めて、落語家とカウントしてもらえるようになります。さらに精進を重ねて、弟子を取っていいという「のれん分け」のような存在が「真打」であります。
皮膚感覚として、「真打になったときより二つ目になったときのほうが嬉しい」というのは、修業を経ている落語家なら誰もが抱く感情です。 そんな師弟関係を象徴するようなエピソードをご紹介しましょう。弟弟子から聞いた話です。 彼は師匠ともう1人の別の兄弟子と一緒に、車で都内を走っていました。兄弟子が運転し、彼が師匠の身の回りの世話をする2人態勢です。 都内某所で、彼は不覚にも師匠の隣で居眠りをしてしまったそうです。
激怒した師匠は、その場で彼を降ろし、運転していた兄弟子に命じ目的地まで去って行ってしまいました。彼は電車でその目的地まで向かい、師匠に土下座して詫びたとのことでした。 こんな激しい間柄は、絶対に一般の社会ではありえないでしょう。 特に昨今、コンプライアンスを問われる一般企業においては、例えば上司が部下にかようなことをさせたら完全アウトである案件です。 でも、これを認め合うコミュニティが落語界なのです。なぜか。