映画の借金返済で執筆活動へ 米国で〝盗撮〟 面白い番組のため何だってやる 話の肖像画 ジャーナリスト・田原総一朗<18>
加納さんはヌード撮影で売れっ子になっていた人気カメラマン。出演のオファーをすると「面白いですね。やりましょう」と引き受けてくれた。現場でも「もっと過激なシーンを入れませんか?」などと提案してくれましたねぇ。
撮影期間は約2カ月。会社は休暇を認めてくれなかった。上司やアナウンサーの小倉智昭(おぐらともあき)さんらが仕事を代わってくれたり、出勤のはんこを押してくれたりしたおかげで何とか。
ただ、カネ(制作費)は借金に頼るしかない。モノクロで撮ったのもおカネの問題、予算が足りなかったんです。監督の僕は、映画がヒットすれば、興行収入で借金などすぐに返せると目論(もくろ)んでいたのだけど、赤軍派による一連の事件が起きるなどしたから世間は学生運動に冷ややか。それを問題提起するものにも厳しかったですね。
結局、僕はかなりの借金を背負うことになった。返済のために、執筆活動を始め、ここでもタブーに挑戦することに。雑誌の連載から本になった『原子力戦争』(51年)『電通』(56年)などで評価されるようになったが、借金返済には5、6年かかりましたか。(聞き手 喜多由浩)