東京五輪世代U-22合宿開始。小川航基が抱く危機感とは?
東京五輪世代におけるベストメンバーが招集された、国内では初めての試合となるU-22コロンビア代表とのキリンチャレンジカップ2019(17日、エディオンスタジアム広島)に臨むU-22日本代表メンバー22人が発表された今月5日の時点で、FW小川航基は唯一のJ2クラブ所属選手だった。 MF久保建英(RCDマジョルカ)やFW前田大然(CSマリティモ)ら、今回も招集されている東京五輪世代のホープたちが続々とヨーロッパへ旅立った今夏。小川はジュビロ磐田から、J2の水戸ホーリーホックへと期限付き移籍した。自らの判断で、あえて戦うカテゴリーをひとつ下げた。 「最終的に決めたのは、発表される直前でした。いろいろなことを考えましたけど、最終的には自分が上に行くために最も必要な道を、一番大事な道を選びました」 神奈川県の強豪・桐光学園高時代から、東京五輪世代のエースストライカー候補として期待されてきた男に期限付き移籍を決断させたのは、脳裏を常に駆けめぐっていた危機感だった。 4年目を迎えていた今シーズンのジュビロで、リーグ戦で5試合、わずか53分間の出場にとどまっていた。先発もゴール数もゼロ。加えて、東京五輪世代が18人も名前を連ねるチーム編成となった、6月のコパ・アメリカ2019を戦ったフル代表にも招集されなかった。
苦悩の源泉をたどっていくと、2017年5月に韓国で開催されたFIFA・U-20ワールドカップに行き着く。U-20ウルグアイ代表とのグループリーグ第2戦で、左ひざの前十字じん帯断裂および半月板損傷。全治までは約半年と診断されたが、違和感は昨シーズンにまで大きな影を落とした。 ただ、突きつけられた非情な現状のすべてを、けがに帰結させるつもりはない。自問自答を繰り返した末に、自分自身に巣食っていた「甘さ」を断ち切らない限りは前へ進めないと結論づけた。 「自分のなかでは一日一日を大切にしてきた、という自負がある。だけど、それだけでは成長していないということは、自分が気づいていない何かがあるということ。そこに一刻も早く気づいて、こうすれば成長できるという自分なりのものを見つけたい」 J2戦線の上位につけていたホーリーホックで、デビュー戦から3試合連続ゴールを決めた。ジュビロ時代はリーグ戦で2試合続けて先発フル出場した経験がなかった22歳が、高温多湿の過酷な条件に見舞われる夏場のリーグ戦で6試合続けてピッチ上で、試合開始と終了のホイッスルを聞いた。 コンディションが上向いてきたと判断されたのだろう。U-22日本代表へも9月のメキシコ・アメリカ遠征、サッカー王国ブラジルを撃破した10月の南米遠征にも選ばれ、そして森保一監督をして「現時点でのベストメンバー」と言わしめた今回も招集されたが、小川自身は手応えを感じていない。 「正直、いま呼ばれているからといって何も思うことはありません。もちろん感謝の気持ちはありますけど、だからといって一喜一憂することはできない。正直、危機感しかない。もっと、もっと点を取って、中心となる選手にならないと厳しいと思っているので」