/16 第68回大会(1996年) 明暗分けた守備のミス
戦争による5年の中断を経て、再開された春の甲子園大会に球児たちの快音が戻ったのが、1947(昭和22)年の第19回大会。その年から50年目となる96(平成8)年の第68回大会では、中国地区から初出場した岡山城東と高陽東(広島)がそろって4強入りして旋風を巻き起こした。準決勝で両校を退けて決勝に進出したのは、鹿児島実と智弁和歌山だった。 準決勝までの4試合をすべて1人で投げ抜いてきた鹿児島実・下窪陽介(元横浜)、智弁和歌山・高塚信幸(元近鉄)の両右腕による投げ合いが予想された決勝。ミスが明暗を分けた。 鹿児島実は一回、先頭打者が内野飛球失策で一気に二塁へ。送りバントで三塁に進んだ後、松下智昭内野手が適時打を放ってわずか4球で先制。次打者の安打が再び敵失を誘い、宮田典幸内野手が2点適時打でたたみかけ、計3点を先取した。六回にも敵失絡みで追加点を奪った。八回には下窪投手が三塁打を浴びせ、高塚投手を今大会初めて降板させた。 下窪投手は試合前に「打たせて取る投球に徹する」と話していた通り、低めを突いた。各回の3アウト目は二、六回の三振以外はすべて内野ゴロだった。五回先頭の高塚投手に打たれた中前への難しい打球も田上智之外野手が好捕するなど、バックの援護も大きかった。 九州勢の優勝は67(昭和42)年の第39回大会の津久見(大分)以来、29年ぶり3回目。紫紺の優勝旗が初めて鹿児島の地に翻った。=つづく ……………………………………………………………………………………………………… ▽決勝 鹿児島実 300001020=6 001100010=3 智弁和歌山