【特別連載】指名漏れ大院大高・志水の「旋風舞台裏」 知られざる帰省と再出発、熊本の社会人で再起へ
今秋のドラフト会議では育成を含む123人が指名を受けた。脚光を浴びた選手たちとは対照的に、プロ志望届を提出しながら指名漏れを味わい、涙をのんだ好選手も数多くいた。スポニチでは、夢を諦めずに数年後の吉報を目指す選手に迫る連載「夢をかなえるまでは――」をスタートさせる。初回は、大院大高(大阪)を今春大阪大会優勝に導くなど「勝てる捕手」として注目された志水那優(ともひろ=3年)を特集する。 ◇ ◇ ◇ 大院大高の志水は、ドラフト当日の記者会見場で「ついにこの日が来た」と、あまりに濃密だった高校野球に思いをはせていた。低迷していた学校を今春大阪大会で優勝に導き、プロ注目捕手として取り上げられた。大阪桐蔭、履正社の「大阪2強」を崩す新風として取材も殺到。ドラフト会議で名前は呼ばれずとも「この会見場は誰でも座れる席ではない。成長できました」と結果を受け入れた。 熊本出身で、中学時代には多くの県外私立から勧誘を受けた。その中で選択したのが甲子園出場が96年春の1度しかない大院大高だった。「正直、名前も聞いたことがなかった。絶対に行くことはないと思っていました」。指導者の熱意、全国屈指の充実した練習環境を知り、心が動いた。「当時は甲子園に興味がなかった。高卒でプロに行きたい一心でした」。甲子園のためではなく、工事中だった屋内練習場やトレーニング室の完成イメージ図を見て、プロへの近道だと考えたのだ。 意気揚々と始まった大阪生活は、青写真通りには進まなかった。「かなり緊張をする性格なので、心のコントロールができなくなったんです」。不安感に襲われて精神が乱れ、体調が優れなかった。見かねた指導者の計らいで、一度熊本に帰省することになった。このまま故郷でやり直そうかとも考えた。それでも大阪に戻ってきた。「ここを選んだ理由はプロ野球選手になるため。その思いを忘れずに頑張ろうと思いました」。「志水なら大丈夫や」と励ましてくれた仲間の支えもあり、プロから注目を集めるまでに成長できた。 中学までは、プロ入りのための技術の鍛錬を最優先に考えてきた。その思考は、高校野球を通して変わった。「みんなと厳しい冬を乗り越え、絶対に甲子園に行きたいと思うようになった。ここまで甲子園のために熱くなれるとは思っていなかったです」。3年春の大阪大会では大阪桐蔭、履正社を破って優勝する大躍進。「2強」の牙城を崩し、大阪に大きな風穴を開けた。 卒業後は地元に戻り、社会人野球の熊本ゴールデンラークスに入社する。「大学進学を勧める声もありました。それでも一番レベルの高い舞台で戦い、1年でも早くプロに行きたいと思いました」。同社は、20年から3年間の活動休止を経て今年に再始動した。「これから強くなっていくチームが好きなので」。高校野球で起こした旋風をきっかけに、仲間と努力して勝ち上がる喜びを知ったのだ。(河合 洋介)