「東京出身の人はどこか違うんです」上京から40年、俳優・光石研が持ち続ける“東京へのコンプレックス”
「子分気質なんです」という言葉に表れる、光石 研が人格者たる理由
高校生のときに映画『博多っ子純情』のオーディションで主演に抜擢されデビューし、昨年俳優生活45周年を迎えた光石 研さん。先日、2冊目のエッセイ『リバーサイドボーイズ』(三栄)を刊行した。故郷の北九州・黒崎の話や青年時代、独自の仕事観などをリズミカルな文章で綴った、楽しい1冊である。 【画像30枚以上】愛犬・グリグリと光石さんの楽しいお散歩! 老若男女問わず、皆に愛される光石さんの秘密を探るべくロングインタビューをお願いしたところ、キュートな愛犬・グリグリくんと一緒にご登場くださった。まずは、故郷のお話から。
自粛期間にふりかえる少年時代
――エッセイのタイトルになった「リバーサイドボーイズ」は、福岡県筑豊を流れる遠賀川にちなんで名付けられたそうですね。同郷の俳優のでんでんさん、鈴木浩介さん、野間口徹さんとそう呼び合っているのだとか。いつ頃からそのメンバーで集うようになったのですか? コロナ禍になる少し前ですね。同郷のでんでん先輩を交えて飲もうと話していたのですが、みんなのスケジュールがなかなか合わなくて、そうこうしているうちにコロナになってしまった。明けてからやっと行けました。だから、厳密にいうとそんなに何回も飲んでいるわけではないんです(笑)。 ――『リバーサイドボーイズ』は西日本新聞に連載されたエッセイがもとになっています。光石さんが俳優になるきっかけとなった、デビュー作の『博多っ子純情』のオーディションも西日本新聞の社屋で行われたのだとか。 不思議なご縁ですよね。西日本新聞さんから「とりあえず800字で50本書きませんか?」とお話をいただいて、ちょうどコロナ禍の自粛が始まった頃で撮影もなくなったので、書けそうだなと思ってお受けしたんです。九州の方が読んでくださるのなら、九州の話題がいいかなと、『博多っ子純情』のオーディションの話から書き始めました。 2回目の連載は月に一度1200文字。仕事が再開して忙しくなった頃だったので、移動の新幹線や待ち時間などに書いていました。文字数に合わせて書くのって難しいですよね? 一気に書けるものとピタリと止まってなかなか筆が進まないもの、いろいろでしたね。 ――少年時代のお話がたくさん出てきますが、書いていくうちに、どんどん昔のエピソードを思い出していったのですか? いえ、当時の友達に電話して、「あそこの店なんだっけ?」「あの人の苗字なんだっけ?」といちいち聞いて、取材しながら書いていました。