介護ストレスでセクキャバにハマった60代男性、親の遺産を使い果たしても「タイミー」にエントリーできない理由
■ Lさんの貯金が0円になったワケ とはいえLさんに危機感はなく、妙にフワフワしている。 「最近は食費を切り詰めているせいで、ちょっと痩せたんですよ」 Lさんが今のような生活になったそもそものはじまりは、10年ほど前に介護離職したことがきっかけだ。 「離れて住む父と母が次々と要介護になりまして。同じタイミングで自分は妻と離婚したので、会社を辞めて実家に帰りました」 介護離職と熟年離婚。Lさんは住み慣れた関東を離れ、実家の神戸に帰った。自己都合のため退職金はなし。別れた妻に、家と貯金の多くは引き渡した。 「大変でしたよ。父はパーキンソン病で体が徐々に不自由になり、母は認知症と糖尿病が出て、シモの世話もしなければならず……。精神的に参ってしまい、怒りたくないのに、母を怒鳴り散らすこともありました」 当時は朝だけ宅配便の配送センターで仕分け作業のパートをし、あとは両親の年金で暮らした。 「父親の年金は月に30万円はありました。面倒を見ているのは自分だし、父と母の年金も貯金も自由に使っていました」 そして、Lさんは両親の介護中に本物の“思案橋”を渡ってしまう。パーキンソン病で入院した父親の見舞いのついでに、夜の街に繰り出すようになったのだ。 「父親の見舞いといっても、病院にいるのは10分くらい。『元気? 頑張りよ』と声をかけ、そのまま帰るのもつまらないので、セクキャバやスナックに行くようになった。それまで夜の街で遊んだ経験はなかったのですが、激しめの遊びにハマってしまって」 母をショートステイに預けたときはセクキャバの女の子と同伴で食事し、同伴出勤、締めはスナックでカラオケに行ったという。最初は週に1回程度だったが、徐々に回数が増えていった。
■ 「激しめの遊び」に400万円を使った月も 数年後に父が亡くなってからは、母の認知症が悪化。ちょっと外に出かけるだけで母が繰り返し電話をかけてくるため、最終的に荷物の仕分けも辞めた。 「父が亡くなってからの5年間はほぼ無職です。母が受給した年金は月20万円はありましたし、貯金もあったので」 そんなLさんが青くなったのは母親が亡くなった時。ちょうど60歳になっていたLさんは、今度は自分の年金の「繰り上げ受給」を申請した。年金と、スナックで意気投合した人から紹介されたパート収入、さらに親の遺産で暮らすようになったのだ。 「焦りはなかったですねー。母が亡くなって介護が終わり、心から解放された気分でした。セクキャバの女の子が平井堅のファンで、自分も大好きになっちゃって。『僕は君に恋をする』っていい歌ですねー」 楽しげに語るLさん。介護を卒業しても「激しめの遊び」を続け、親の遺産は消えた。そして3カ月前に「会社の業績が悪くて、もう雇えない」とパートも解雇された。60歳を過ぎた非正規は雇用の調整弁になりやすい。 今は食費を切り詰めるため、大量のカレーを作って冷凍し、それを少しずつ食べている。固定資産税は延滞中。仕事もせず、テレビを見て過ごす毎日だ。 「最近は暇だったので、当時どれくらいお金を使ったのかを計算してみたんです。すると、400万円くらい使っていた月もありました。同伴でフグや寿司を食べに行ったり、店でシャンパンを入れたりしていましたから。まあ、楽しかったから後悔はないです」 神戸市民のLさんだが、昨年話題になった兵庫県知事選では投票すらしていない。 「衆議院選は、石破さんが住民税非課税世帯に10万円配ると言っていたから、自民党に入れようかと思いましたが、面倒で行きませんでした。結局配られるのは3万円になるみたいだし、入れなくてよかったー」 それでも今はその3万円が待ち遠しい。