羽生善治いわく「職業病は腰と足の痛み」、昭和の天才も引退決断…「無理だと判断しました」“正座とケガ”に悩んだ大棋士は渡辺明だけでない
羽生九段も「職業病」…22歳の藤井竜王・名人は?
アスリートにつきもののケガだが――棋士も肉体にかかる負荷はついて回るものだ。 私こと田丸は60歳ぐらいの頃、対局で正座をすると膝に激痛が走った。胡坐(あぐら)に組み替えれば少しやわらぐが、時間がたつと足全体が痛くなった。やむをえず正座をする場合、太ももとふくらはぎの間に大きめのクッションを挟んだ。それなら痛みがそこそこ軽減されたが、座高がかなり高く見えたようだ。 整形外科医の診断は「変形性膝関節症」。筋力低下、加齢、肥満などによって発症するという。悪化すると正座はもちろんのこと、歩行も困難になる。私は当初はヒアルロン酸注射の治療を受け、以降は散歩やストレッチ体操で膝の周辺の筋肉を鍛えた。そして現在は日常生活で、階段を下りる場合を除いて不都合はない。正座はできないが、8年前に現役を退いたのでその機会はほぼない。 羽生善治九段は以前に「棋士の職業病は腰と足の痛み」と言ったことがある。長年にわたる数々の対局で通した正座によって、身体のあちこちに不具合が生じてもおかしくない。ただ個人差はあるようだ。50代以上で正座を続けられる棋士もいれば、40代以下で正座がきつい棋士もいる。藤井聡太竜王・名人はまだ22歳と若いが、果たしてどうなのだろうか……。
新将棋会館の椅子対局室と、天才・升田の現役晩年
新設された東京と関西の将棋会館には、椅子対局室がそれぞれ設置されている。 東京の椅子対局室では上限で8局、関西では2局が対局可能である。対局前に申請して両対局者が合意すれば、椅子対局ができる。ただ和室での対局が身体的に難しい棋士(女流棋士も含む)、高齢者やキャリアが長い棋士が優先されるので、希望しても叶わないケースがありうる。 タイトル戦の対局で和服姿の棋士が和室で正座した光景は、格調があって一幅の絵のように美しい。しかし現実は、棋士への身体的負担によって成り立っている。洋室で洋装になって椅子に座って対局しても、将棋そのものの価値が下がるわけではない。将来は、和室・洋室での対局は半々になるのが望ましいと、私は個人的に思っている。 不世出の天才棋士だった升田幸三実力制第四代名人は「新手一生」を標榜し、50歳を過ぎても意気軒高で「60歳名人」を公言していた。しかし体力の衰えと病気によって、ある時期から公式戦の休場と復帰を繰り返していた。 升田は1979年春、日本将棋連盟に2年ぶりの公式戦への復帰を伝えた。『将棋世界』誌はそれを記念して、若手棋士の小林健二五段(当時22。以下同じ)、青野照市六段(26)、谷川浩司六段(17)との三番勝負を企画した。 その際、升田は主治医の言に基づき、椅子での対局を申し入れたという。足の具合が悪くて、長時間にわたって畳の上に座れない状態だった。升田ほどの大棋士の要望であり、公式戦の対局でもない。将棋連盟(会長・大山康晴十五世名人)は特別に便宜を図っても良さそうだが、それをなぜか認めなかった。前例がない、洋室がない、という理由のようだ。
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