中国がタイで「クラ地峡」運河を建設? 実現可能性はあるのか
中国がタイでマレー半島を横断する「運河」を建設? ―― 中国の一部メディアで報じられたことをきっかけに、この「クラ地峡」運河プロジェクトが注目を集めました。荒唐無稽にも見えるこの構想は、実は古くて新しいものです。東南アジアをめぐる力関係の中で、浮かんでは消えてきた「クラ運河」構想はどのようなものでしょうか。中国専門家の西本紫乃氏が解説します。
そもそも「クラ地峡」とは?
タイランド湾とアンダマン海に挟まれたマレー半島が比較的細くなっている地域一帯をクラ地峡といいます。中国とインドを結ぶ海のシルクロードにおいて、マラッカ海峡を通る海路に比べて移動距離が短く海賊に襲われる危険性も低いため、古来よりクラ地峡を陸路で横断するルートも利用されていたことが知られています。 19世紀になると船舶交易が盛んになり、地中海と紅海を結ぶ スエズ運河、太平洋とカリブ海を結ぶ パナマ運河 などの大規模な運河の建設が行われました。マレー半島を横断するクラ地峡に運河を建造する構想もこの頃から本格的に議論されるようになりました。今日まで何度も運河建造プロジェクトの実現可能性について調査が行われており、クラ地峡に運河を建設することは技術的には不可能ではないとされています。それなのになぜ、今日まで実現に至っていないのでしょうか。それには主に次の二つの要因がありました。 まず地政学的な欧米各国の駆け引きと思惑が挙げられます。19世紀、スエズ運河やパナマ運河の建設を手掛けたフランスの外交官、レセップスがタイに対してマレー半島を横断する運河建造計画を持ちかけましたが、シンガポールの影響力の低下を懸念した英国がタイに運河を造らないように働きかけ計画は実現しませんでした。 20世紀以降は欧米各国にとって、東南アジアの海上航路が日本や中国ほど重要ではないことも影響していると思われます。日本や中国にとっては東南アジアの海上航路は中東から原油や天然ガスを運搬するエネルギー供給の生命線として非常に重要です。他方で、欧米各国にとって資源などの物流は主に大西洋を航行します。これまでクラ地峡に運河を建造することに関心が持たれつつも実際に建設にいたる機運が高まらなかったのには、こうした要因も見過ごせないでしょう。 もう一つは、タイの政治権力が強固でなかったことが、運河建設が実現しなかった要因となっています。タイが立憲君主制に移行した1935年以降、タイ政府やタイ国内企業で運河を開発する計画が何度か持ち上がりましたが、政権交代によって計画が立ち消えしたり、イスラム系住民の多い南部地域の治安情勢、安全保障が懸念されたりして暗礁に乗り上げてしまいました。