ノーベル平和賞授賞式 核廃絶への熱意実感 日本被団協の箕牧代表委員「先人の運動を若い人に」
ノーベル平和賞を受けた日本被団協の代表委員で、広島県被団協の理事長も務める箕牧(みまき)智之さん(82)が、北広島町の自宅で中国新聞のインタビューに応じた。授賞式のため訪れたノルウェー・オスロで、被団協への温かい励ましや官民の核兵器廃絶への熱意を実感。被爆80年となる2025年へ「先人の運動をどう若い人に引き継ぐか、大きな課題を考えないといけない」と語った。 【写真12枚】ノーベル平和賞の授賞式があったノルウェー・オスロ市内のホテルで、最後までバルコニーに残り手を振る箕牧さん(10日午後7時8分)など 代表委員3人は10日に市庁舎であった授賞式に登壇。その夜、たいまつを掲げた市民たち約千人の行進をホテルのバルコニーで迎え、極寒の中で約10分間、手を振り続けた。「こんなにも多くの人たちが共に歩んでくれる」と感動した。 面会したストーレ首相からは、核兵器禁止条約の締約国会議にオブザーバー参加する意向を聞かされ「日本との温度差を大いに感じた」。25年3月の次回は、世界の核被害者への援助が議論される見通しで「同じように核の傘の下にいるノルウェーやドイツが参加できて、日本はなぜできないのか。日本の信頼に関わる」と訴える。 中東の衛星テレビ、アルジャジーラの生放送にも出演し、イスラエルの攻撃を受けるパレスチナ自治区ガザの子どもの様子を被爆後の広島に重ねた受賞発表時の発言について問われた。「戦争を起こすトップは戦場に行かず、子どもが犠牲になるのは耐えられない。自分の子どもだったらどう思うのか、言う必要があった」と語気を強めた。 帰国後も取材対応などで多忙な日々を送る。知人の被爆者たちからは代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)の受賞演説が「良かった」と声をかけられた。 この1年は入退院を繰り返した。オスロ入りした被爆者たちも「みんな弱った。体がついてこなくなった」と吐露。ノーベル賞委員会へは高校生平和大使の活動への協力を求めたという。広島みらい創生高の生徒から託された銅板の折り鶴は王室やフリードネス委員長に渡した。「広島、長崎の若者をはじめ熱意あるみんなの力を借りて核兵器廃絶に取り組みたい」
中国新聞社