楽天ドラ1 “20年に一人の逸材” 明治大学・宗山塁 侍J井端監督、源田 三木監督らが最大級の賛辞
10月24日、ドラフト会議。注目は「20年に一人の逸材」と呼ばれる男、明大・宗山塁遊撃手だった。 西武、楽天、日本ハム、ソフトバンク、広島の5球団が競合し、楽天が引き当てた。 大学生野手に5球団が競合するのは、79年の岡田彰布(早大―阪神、6球団競合)以来45年ぶりのことだ。 最大のセールスポイントは守備。広い守備範囲を誇り、繊細なグラブさばきと正確なスローイングは球界関係者を唸らせるほどレベルが高い。 自らも名ショートと呼ばれた侍ジャパンの指揮官・井端監督は大学生の宗山を3月、トップチームに招請した。 「ショート(の守備位置)についている姿は華があったと思いますし、学生の間に何も言うことがないというのは本当にびっくりしました」(井端監督)。 2023年WBCでケガをしながらショートを守り抜いた守備職人・源田(西武)は「体の使い方とかもすごくうまいなと思いますし、足もよく動いていい選手だなと見ていて思いますね」と宗山の守備力の高さに舌を巻く。 交渉権を獲得した楽天・三木監督も「ポテンシャルと可能性を秘めた、現段階でも非常にレベルの高い素晴らしいショートだと思います」と最大級の賛辞を贈った。 打撃のレベルも半端ではない。中距離ヒッターで確実性が高く、東京六大学リーグで積み上げた安打は118本。これは歴代7位となる数字だ。 そんな宗山は、広島県三次市で長男として生まれた。父・伸吉さん(50)は息子と同じ広陵野球部出身。 ケガで断念した野球の道を長男に託した。「男の子なら“塁”一択でしたね。これこそ親の趣味です」(伸吉さん)。そんな父親に導かれ、宗山は物心ついた時から野球を始めた。 伸吉さんは自らの手で自宅前の庭に練習場を作り、親子二人三脚で雨の日も風の日も365日、どんな時でも毎日練習に励んだという。 「バットを振らない日は記憶にないですね。本人も飽きずに最後までやりましたので、多分本当に野球が好きなんだと思うんですよね。私の方がしんどくて疲れて休みたい時がありましたけど、容赦してくれませんでした」 小学校、中学校の9年間、伸吉さんが監督、コーチを務める軟式チームで力をつけると、父の母校・広陵へ進学する。野球に対する真摯な思い、姿勢は強豪校・広陵の中でも圧倒的で、多くの選手をプロに送り出してきた名将・中井監督も舌を巻く。 「非常に積極的で、言えば言うほど跳ね返ってくるような子だったので、相当な強い思いと意識を持って練習したんだろうなと思いました。なにしろよく練習する子だったので、負けず嫌いで今に見とけよという気持ちで練習してくれたと思います」 甲子園には2度出場、そして明大進学後は1年春のリーグ戦からレギュラーとなり、首位打者に4度のベストナインを獲得するなど一気に東京六大学を代表する選手へと駆け上がった。 そんな宗山が、今でも大切にしている父の教えがある。「目標を口に出すこと」で退路を断つこと。 過去には、オレ流の落合博満氏が「三冠王を獲る」と宣言して3度の三冠王に輝いたことは有名な話だ。 「最初はプロ野球選手になりたいというか、なるって言いなさい、とずっと言われていて。本当に実現できないくらい大きな夢でも、口にしていくことでどんどんその目標や夢に近づいていく、という思いでやってきました」と宗山は前を見据えた。 退路を断つことで生まれる責任感と覚悟。厳しい鍛錬の積み重ねが、宗山を高みへと導いていく。そして迎えた9月。史上34人目のリーグ戦100安打のボールが伸吉さんに渡された。 「塁から直接もらいました。大事にしようと思います。ブレずに自分の信じたことをやり続けて欲しいと思います。それが必ず結果につながるので」と伸吉さんは感謝とともにエールを送る。 宗山も「父がいなかったら、まず野球を始めていないと思いますし、自分のためにいろいろなことを犠牲にしていろんなことをやってもらったので、日本球界のトップになっていくことが恩返しなんじゃないかなと思っています」と教え通りに大きな目標を口にした。 テレ東リアライブ編集部
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