17万人救ったカテーテル 開発きっかけは心臓病抱える娘への思い
心臓病を抱える娘を救いたい―。46年前、医療に関しては全くの素人ながら、その一心で人工心臓の研究を始めた父親がいた。その試みを一度断念するが、後に17万人の命を救うカテーテルの製品化につながる。そんな実話を基にした映画「ディア・ファミリー」が公開された。主人公のモデルとなった愛知県春日井市の医療機器メーカー「東海メディカルプロダクツ」の筒井宣政会長(82)が開発への思いを語った。(共同通信=西尾陸) 【図】ブタから人への臓器移植が実用化へ新段階、臓器不足解消の切り札となるか
元は髪を結ぶビニールひもやストローを作る樹脂加工場を営んでいた。医療に関しては、全くの素人だった。 1978年、37歳で人工心臓の研究を始める。きっかけは先天性の心疾患がある9歳の次女佳美さんに下った余命10年の宣告。手術もできないと告げられた。筒井さんは当初、手術代のための貯金を心臓病の研究機関へ寄付しようと考えたが、相談した医師からは、自ら人工心臓の研究をすることを勧められた。仕事柄、製作に不可欠な樹脂加工のノウハウはある。「これで終わりにはできない」との思いだった。 それから8年間で8億円をかけた。公的機関からの研究助成金を受けられるよう、1981年には現在の会社を設立。動物実験までこぎつけたが、実用化にはさらに100倍超の費用が必要と分かり、行き詰まった。 その頃、大動脈内バルーンポンピング(IABP)と呼ばれる施術に用いるカテーテルの事故が多発していることを知る。風船付きの管を血管に入れ、心臓付近で膨張、収縮させることで心機能を助ける器具。市場を独占していた米国製は日本人の体格に合わず、素材の強度不足に起因する破裂事故が頻発するなど、患者の死亡事案が相次いでいた。
人工心臓研究で培った高度な加工技術を使えば国産品を作れる。だがあくまで一時的な補助器具で、佳美さんの病気は治せない。研究を方向転換するべきか。佳美さんは「1人でも多く他の人の命を助けてほしい」と応じた。「あの子は入院中、他の患者が急に異変を起こして運ばれ、亡くなるのを何度も見ていた」と筒井さんは振り返る。 1989年、日本人の体格に合い、破裂事故を減らすために製法も工夫した国産初のIABP用カテーテルを発売した。その成功を見届けた佳美さんは1991年、23歳で逝去した。器具はこれまでに17万本が出荷され、心不全に陥った患者らの命を救った。 「何事でも、自分より他人を大事に考える子だった」。映画を見て、筒井さんの脳裏に生前の佳美さんがよみがえった。 その後会社は急成長した。年間数十本しか売れない乳児向けの器具も採算度外視で供給している。「必要とするのがうちの子だったらと考えると、やらざるを得ない。株主に『やめろ』と言われたくないので、上場もしない」と筒井さん。佳美さんの利他の精神が今も生きている。