30歳の佳子さま、皇室に残る考えは?秋篠宮さまの「皇族は生身の人間」発言の波紋
喫緊の課題となる皇族の減少
2024年11月15日に三笠宮妃百合子さまが亡くなられて皇室の人数は16人で、1990年代の26人から10人減少。このうち未婚の皇族女子は5人で、20歳代は天皇、皇后両陛下の長女の愛子さまお一人。 皇族数を確保するためには皇室典範の改正が必要で、政府の有識者会議の2案のうち皇族女子が結婚後も皇族身分を保持する案について、衆参両院議長は9月、各党各派のおおむねの賛同が得られたとの中間報告をまとめた。 しかし、配偶者や子らを皇族とするのかどうかを巡り、各党で意見が割れている。法案作業は来年夏の参議院選挙後との観測も出ている。 こうした現状について、佳子さま自身は、どのようにお考えだろうか。 佳子さまといえば、華麗なファッションセンスで話題になることも多いが、近年は、その公的活動で注目を集める場面が少なくない。 全日本ろうあ連盟の非常勤嘱託職員を務めながら、地方の行事への出席など幅広く公務を担い、今年もギリシャを公式訪問(5~6月)するなど、国際親善に貢献している。 とりわけ、佳子さまがライフワークとして力を入れているのが、手話を使っての聴覚障害者とのコミュニケーションで、最近は「日本手話」と呼ばれる新たな試みにもチャレンジしている。「日本手話」は、ろう者の言語として生まれ、表情や視線、眉の動きなども意味を持つ手話で、日本語の発声を伴わない独立した一つの言語とされる。 その一方で、ペルーやギリシャなど国際親善の訪問先では、現地の手話を交えて交流しており、障害者福祉団体の関係者も「国内外を問わず相手が大切にしている手話文化を一緒に大切にしようとしている姿勢が好感を持って迎えられている」と指摘している。
佳子さまの「ジェンダーフリー」発言
手話とともに近年、熱心に取り組んでいるのが「ジェンダー平等」に関する発信だ。 「今後、ジェンダー平等が達成されて、誰もが安心して暮らせる社会になることを、誰もがより幅広い選択肢を持てる社会になることを、そしてこれらが当たり前の社会になることを心から願っております」 佳子さまは昨年10月、『公益社団法人ガールスカウト日本連盟』主催の式典で、「ジェンダー平等」達成を訴える内容のスピーチをされた。同様の主張は3年前に遡るが、ジェンダー平等に取り組むような団体の良き伴走者になっているという。主張の背景には、「皇室にいる自身の境遇に重ね合わせているのではないか」といった指摘もある。 しかし、皇室研究家の高森明勅氏は、秋篠宮ご夫妻の外国訪問の際の宮邸玄関での見送りの際、皇位継承順位2位の悠仁さまより先に姉の佳子さまが玄関に入られた事例などを挙げながら「秋篠宮家は、現代における普遍的な価値観ともいうべき『ジェンダー平等』について、深い理解を持っています」(著書『愛子さま女性天皇への道』、講談社ビーシー)と指摘している。 佳子さまの近況に関し、11月の記者会見で、秋篠宮さまは「手話のみならずいろいろなところから声を掛けていただいて公的な活動の幅が広がっている」と述べたが、結婚については親子で話し合っていることはないという。 佳子さまは、2021年10月に小室圭さんと結婚して民間人となった姉の眞子さんと考えが近いとされる。 「私は、結婚において当人の気持ちが重要と考えています。ですので、姉の一個人の希望がかなう形になってほしいと思っています」(2019年3月の国際基督教大学卒業にあたり、宮内記者会の質問に対する文書回答)。 眞子さんと小室圭さんとの結婚について聞かれ、「当人の気持ちが重要」ときっぱりと主張している。 しかし、あの時から5年以上の歳月が流れ、取り巻く環境も変わろうとしている。 国会の議論では、これまで「女性皇族は結婚したら民間人になる」(あるいは「独身のまま皇族を続ける」)という選択しかなかったが、「結婚後も皇室に残る」と選択肢は広がる。しかし、民間人となる自由との引き換えである。 しかも、結婚相手となる配偶者やその間に生まれる子らの扱いも「国民」なのか「皇族」となるのか、何も決まっていない。そして、配偶者や子らが「国民」の場合、確保される皇族数は女性皇族1人分だけで、一つの家庭に皇族と国民が混在する不自然な形となる。男系継承優先に変わりはない。 また、皇室に残ることについて政府の意向確認はどのような形で行われるのか。 政府の有識者会議の最終報告書にも「現在の内親王・女王殿下方は、現行制度下で人生を過ごされてきたことに十分留意する必要がある」との記載はあるが、拒否権が認められるのかどうかも、現時点では全く未知数なのである。 事は皇室の制度にかかわる問題であることから、自らの手で人生設計を描くこともできず、思い悩む点も多々あるはずである。長年放置してきた問題に、政府は真摯に向き合うべきだ。 30歳を迎えた佳子さまの胸中は察するにあまりある。 吉原康和(よしはら・やすかず) ジャーナリスト、元東京新聞編集委員。1957年、茨城県生まれ。立命館大学卒。中日新聞社(東京新聞)に入社し、東京社会部で、警視庁、警察庁、宮内庁などを担当。主に事件報道や皇室取材などに携わり、特別報道部(特報部)デスク、水戸、横浜両支局長、写真部長を歴任した。2015年から22年まで編集委員を務め、宮内庁担当は、平成から令和の代替わりの期間を中心に通算8年。主な著書に『歴史を拓いた明治のドレス』(GB)、『令和の代替わりー変わる皇室、変わらぬ伝統』(山川出版)、『靖国神社と幕末維新の祭神たちー明治国家の英霊創出―』(吉川弘文館)など多数。