藤岡康太騎手、志半ばで35歳天国へ 期待の若手騎手が…400勝トレーナーが…/24年追悼
2024年も名馬、ホースマンが天国へと旅立った。06年に皐月賞、ダービーの2冠を制したメイショウサムソン、ダートでJpn1を含むG1・9勝を挙げたヴァーミリアン、そして藤岡康太騎手は35歳という若さで旅立った。ファンの記憶にいつまでも残る名馬、ホースマンを悼むとともに、その栄光を振り返る(JRA、牧場、関係各所からの発表を受けて紙面で報じたG1馬などを中心に再編集しています)。 【写真】故藤岡康騎手の合同葬で号泣する武豊騎手 ■4月10日藤岡康太騎手(35) 4月6日阪神7Rで落馬し、頭部と胸部を負傷。意識不明の状態が続き、4日後に入院先で亡くなった。 07年3月に栗東・宮徹厩舎所属でデビューし、JRA初騎乗初勝利。09年5月にはジョーカプチーノでNHKマイルCを制してG1初制覇。23年マイルCSでは代打騎乗となったナミュールの末脚を見事に引き出し、自身14年ぶりのJRA・G1・2勝目を手にした。 キャリアハイのJRA63勝を挙げた昨年からの勢いそのままに、今年は4月時点で28勝を挙げ、全国リーディングでトップ10に入る活躍をみせていた。JRA通算1万759戦803勝。JRA重賞22勝。 父健一師はJRA調教師、兄佑介も騎手という競馬一家で育った。同期には浜中、丸田騎手らがいる。白い歯がこぼれる笑顔がトレードマークで、ファンや関係者、マスコミへの対応は常に紳士的。康太騎手を囲む輪は、いつも自然と笑顔であふれていた。昨年の6月には第1子が誕生。騎手としても、父としても、まだまだ志半ばで天国へ旅立ってしまった。 ■8月10日川村禎彦調教師(66) 病気のため亡くなった。 78年に騎手デビュー。障害戦で活躍し、JRA通算48勝を挙げた。87年に引退し、95年に調教師免許を取得。96年に栗東で厩舎を開業した。JRA通算成績は7311戦426勝。JRA重賞は07年ニュージーランドT(トーホウレーサー)、16年東海S、平安S(ともにアスカノロマン)の3勝。DG競走でもタマモストロングで00年白山大賞典、スナークレイアースで02年白山大賞典、04年マーキュリーC制覇、現3歳のブルーサンでは今年の雲取賞(Jpn3)を勝利した。 ■8月角田大河騎手(21) 死去していたことを、JRAが8月10日に発表した。 父は元騎手の晃一調教師、兄は大和騎手。栗東・石橋守厩舎所属で22年3月にデビュー。初騎乗から2連勝して脚光を浴びた。翌23年にはシーズンリッチで毎日杯を制してJRA重賞初制覇。JRA通算1593戦90勝。重賞1勝。 ■8月25日水島晴之記者(63) 自宅で倒れ、亡くなった。東京都出身。生まれながらにして家族と東京競馬場に行くほど競馬一筋の人生を送った。10歳時に競馬専門紙の「ダービー観戦記」で佳作に選ばれたのがきっかけで競馬記者を志す。83年に日刊スポーツ新聞社に入社し、同年12月に編集局整理部に配属。92年5月からレース部中央競馬担当。02年から11年4月までは4代目東京本紙予想を担当し、時には穴馬も本命に抜てきする「攻めの本紙」のスタイルをつらぬいた。類いまれな観察眼をベースにした予想で読者に人気だった。