高知小津、延長・PK戦で明徳義塾を下し27大会ぶりにインターハイ出場!
今年から福島県楢葉町のJヴィレッジ開催となる全国高等学校体育大会(サッカー競技)男子、最初の切符をかけて連合3チーム含む28校23チームが参加し5月5日に開幕した「令和6年度第77回高知県高等学校体育大会(サッカー競技)男子」。3日間連続開催最終日となる5月20日には高知県高知市の高知県立春野総合運動公園球技場にて高知小津と明徳義塾との決勝戦が開催された。 【フォトギャラリー】高知小津 vs 明徳義塾 両校のスタートフォーメーションは以下の通りとなった。 まず高知小津は3-1で高知学芸を破った準決勝から配置をやや変えての「3-5-2」。スターティングイレブンはGKに1岩﨑素宙(3年)。3バックは右から17石川竜希(2年)、3柴田翔朱(3年)、4金田豊樹(3年)。中盤はアンカーポジションに2武内智貴(3年)が入り、その前には2人とも準決勝でゴールをあげたキャプテンの10横谷隼人(3年)と8山本滉汰(3年)。右サイドハーフに13猪野豊(3年)、左サイドハーフに7笹原颯斗(3年)。2トップは9一色真慧(3年)と11三代木宗恒(3年)。準決勝スタメンの16村田壮真(2年)は8山本と入れ替わりベンチスタートとなった。 対する明徳義塾は準決勝と全く同じダブルボランチ型の「4-4-2」。スターティングイレブンもGKは1岡本友希(3年)。4バックは右から2大石陸(3年)、5メフタヤラン(3年)、4天野慈穏(2年)、3女良明日夢(3年)。中盤はダブルボランチに7砂川豪毅(3年)と6徳能伊織(3年)が入り、サイドハーフは右に8葛籠聖斗(1年)、左に18友永謙信(1年)。2トップにはキャプテンの10坂元悠真(3年)と11下元悠司(2年)と、準決勝と同じ11人となった。 この試合、高知小津にとってまず焦点となったのは明徳義塾のエース10坂元と11下元が2トップに対するケアである。そこで「まずは3バックとアンカーで厳しくマークし、僕と山本が下がってサンドしてボールを奪いにく」(10村田)ゲームプランを着実に実行に移した彼らは、ポゼッションで圧倒されても危なげない守備で前半35分余りを消費することに成功。シュート2本しか放てなかった明徳義塾からは焦りの色がみてとれた。 後半に入ると高知小津は満を持して11三代木から16村田をアンカー前に位置に入れ、8山本を2トップに上げてゴールを狙う布陣に。ただ、明徳義塾は守備の陣容が入れ替わったことによって生まれるわずかなスキを見逃さなかった。50分、ゴール前やや左でボールを受けた10坂元は相手DFに身体を寄せられながらもシュートコースを作り低い弾道での枠内シュート。相手GKがこぼしたところに11下元が詰め、待望の先制点は明徳義塾にもたらされることになった。 その後は布陣を「4-4-2」に変えた高知小津が明徳義塾を押し込むも、明徳義塾も抜け目なくカウンターを発動し一進一退のまま試合も残り10分を切っていく。「やはり明徳義塾か……」場内が徐々にそんなムードに包まれる中、高知小津イレブンは明徳義塾のウィークポイントを虎視眈々と狙っていた。 66分、後方からのフィードに反応したのは「相手ディフェンスラインは合わせる時に1回ステイする癖があるので、ギャップができる瞬間を突こうと思っていた」(FW8山本)。PA内に侵入し相手DFともつれあいながら獲得したPKを自ら2試合連続で決めると、バックスタンド北側に陣取った高知小津応援席は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。 かくして試合は1-1のまま10分ハーフの延長戦へ。高知小津は16村田を3バック右に下げ、代わりにFWへ位置を転じた17石川が圧倒的なスピードで、明徳義塾は70分に11下元と交代した20諸見勇徳(3年)のポストプレーを用いながらゴールを目指すも得点は生まれず、インターハイ出場のゆくえはPK戦に委ねられることになる。 決着が付いたのは両校1人ずつ失敗して迎えた5人目のことだった。明徳義塾のシュートを「圧をかけていた」高知小津GK1岩﨑が止めると、最後はキャプテンの10村田が冷静にゴールをゲット。結果、高知小津が1996年・決勝は小野伸二(元日本代表)率いる市清水商(現:清水桜ケ丘)対中田浩二(元日本代表)が司令塔だった帝京のカードだった山梨県開催インターハイ以来、27大会ぶりのインターハイ出場を決めた。 これにはかつては高知小津~中京大~JFLデンソーの攻撃的MFとして鳴らし、その後は教員に転じて母校を率い2年目となる寺尾拓監督も「早すぎた」と言いながら感慨深げ。県内屈指の県立進学校ゆえの短時間集中型練習と相手を探究し弱みを突く戦術で名門復活を遂げた彼らは、Jヴィレッジのピッチでも高知小津らしいフットボールで、1勝のその先をつかみにいく。 (取材=編集部)