トルコ・シリア大地震被災者キャンプで会った国際政治に翻弄される子どもたち
コンテナ・シティと呼ばれる仮設住宅群
ピースウィンズが事務所を置くイスケンデルン市と60キロほど離れたアンタキア市をつなぐ幹線道路沿いには、コンテナをベースにした仮設住宅が集まるコンテナ・シティがいくつもある。日中はコンテナ・シティの大きさがよくわからなかったが、帰り道、陽が落ちて街灯がつくと、その明かりが続く距離でコンテナ・シティの広大さがよくわかった。 コンテナ・シティの中にはトルコ国内の被災しなかった自治体が寄付した仮設住宅街があり、「〇〇市が建設したコンテナ・シティ」と入り口に大きな看板が立ててある。目を引いたのは韓国政府が寄付したもので、きれいなコンテナがゆったりと立ち並ぶコンテナ・シティに「韓国からの寄付で建設した」と看板が立ててあった。聞いた限りでは日本政府の寄付によるものはない。シティとしての建設はないが、後述するシリア人被災者が暮らすコンテナは中国政府が寄付したもので、住民が自力で増築したり、通路に屋根を張るために使ったりする防水シートには中国語が残っていた。
子どもたちや母親たちの心のケア
地震発生直後から始めた医療支援や食料・衛生用品、暑さ寒さ対策のための物資配付に続いてピースウィンズがトルコで行ってきたのは、小学校のプレハブ校舎建設とコンテナ・シティで暮らす被災者の心のケアだった。イスケンデルンのカライラン・サラッチ学校では、5つの教室と職員室、校長室、トイレ、空調も備えたプレハブ校舎を建設。校舎は5月に完成したが、別の小学校も間借り中でまだまだ教室が足りないため、午前と午後の2部に分かれて子どもたちが勉強している。 ここでも韓国のプレゼンスを見せつけられた。子どもたちに「日本の人やモノで何か知っているものはある?」と聞くと、男の子が元気よく「BTS!」と答えた。無理もない。私自身、海外の子どもが知っていそうな日本人を考えてみたが、誰ひとり思いつかなかった。 学校の次に訪れたのが、シリア人被災者が暮らすユルドゥルムテペと呼ばれるコンテナ・シティ。中国から寄付されたコンテナは何も加工されていない空っぽのコンテナのため、トイレやシャワー、給水設備などは共同で使わざるを得ないミニマムな仮設住宅だ(ピースウィンズは屋根付きの共同キッチンの建築を計画中)。 トルコ人のためのコンテナには個別にトイレが据え付けられて日本の被災地の仮設住宅の雰囲気に近いのに対し、シリア人被災者のコンテナ・シティは各自がシートや廃材で「増築」したり、どこからか調達してきたソファセットが通路の憩いの場になっていたり、洗濯物が外に干してあるなど、緊急避難的な生活場所の気配が濃い。2012年ごろから激しくなったシリア内戦を逃れてきて、この数年はトルコに家を借りて定住していた人が多いことを考えると、緊急避難所での生活への逆戻りを余儀なくされている印象を受けた。 ピースウィンズはこのキャンプに子どもたちが安心して過ごせるチャイルド・フレンドリー・スペース(これもコンテナ)を設け、授業前や放課後、夏休みなどに、遊んだり工作したりしながら本音を吐き出して心の荷物を下ろせるような心のケアを行なってきた。子どもたちの様子を見ながら、適宜必要なケアを行うのは児童心理や発達の専門家で、シリアの子どもたちが使うアラビア語を話せる提携団体のトルコ人スタッフだ。彼女たち自身、仕事を求めてかつてシリアに移住したトルコ人両親のもとシリアで生まれ育ちながら、紛争を逃れてトルコに戻った経験を持っている。 あるスタッフは語る。「私自身、11年前にシリアからトルコに逃れてきたので、子どもたちがどれほど恐ろしい経験をしてきたかを知っています。今、10代の子どもたちは小さい時にシリアから逃れてきて、避難生活の中で大きくなった子たちです。彼らは何も自分のものを持っていません。工作をするにも、ハサミの使い方を知らない。喧嘩した時にその刃先を人に向けてはいけないことも知らない。プロジェクトが始まった当初は荒れている子もいましたが、心のケアを続けてかなり落ち着いてきました」。 去年の地震で大きなトラウマを負った子どもも多い。母親と一緒に瓦礫に埋められ、血まみれで助けを求め続けた母親の姿がトラウマとなり心を閉ざした少女、瓦礫の中で目の前の父親が息を引き取る一部始終を見てしまい、人生を諦めたように表情を失った少年。スタッフは、母親たちと連携しつつ、ゆっくりと子どもたちの心の傷を癒してきた。半年以上の活動を経て、笑顔を取り戻し、学校に行くことを前向きに考え始めた子どももいる。 色鮮やかな画材を使うことができて、歌やゲームを教えてもらえるチャイルド・フレンドリー・スペースは、子どもたちと母親たちにとって、紛争や地震の恐怖や将来の不安をひとときでも忘れることのできる貴重な場所だった。「母親」と書いたが、その多くがとても若い母親だ。私が子どもたちの腕に水性ペンでカタカナの名前を書いて遊んでいると、ひとりの母親が「自分も」と腕を差し出してきた。好奇心に輝くその顔は10代の少女のものだった。厳しい環境で生きていかざるを得ない少女たちの子ども時代はあっという間に奪われる。 多くの成果を上げてきた活動だが、資金が得られなければピースウィンズはこうした事業を続けることができず、現時点でこの事業を継続できるかどうかは決まっていない。「ここは私たちにとって一番安心できる場所です。夜、スタッフがいなくて閉まっているときでも、この場所があると思うだけで安心でした。それがなくなったら本当に残念です。継続のために、私にできることは何かありませんか?」。紛争を逃れた先で地震にあって何もかも失い、思うにまかせない人生の中でも「自分にできること」を探す若い母親の姿勢に少し励まされた。 中東情勢が流動化する中で、今、シリアからレバノンに逃れていた人々がイスラエルのレバノン攻撃を避けてシリアに戻ろうとしていたり、レバノンを逃れた人がトルコの海岸に船でたどり着いたりし始めているという。トルコは欧州に近づきたい時には避難民を受け入れて地域の大国ぶりを示す一方、欧州に圧力をかけたいときは難民を「送り込む」と、駆け引きのカードとして使ってきた。力なき民は常に政治に翻弄される。 終わらないウクライナ戦争、拡大する中東紛争、大きく報じられることなく国の崩壊が続くアフリカ各地の情勢……NGOの仕事を片隅から見ていると、出血しているところに絆創膏を当てていたら別の場所から出血が始まるような焦燥感を覚えるが、この仕事を20年以上続けるピースウィンズ海外事業部長の山本理夏は淡々と語る。「困っている人がいて、やれることがあるなら、やる。経験を積んできた私たちには大概のところでやれることがあるのです」。見習いは、この後について学んでいこうと思う。
草生亜紀子