海外でも活躍 堺出身・愛と魂の叫びのダンサーMaSaKoの生き方
Envoyer de MaSaKo主催者
観る人の魂を揺さぶるほどのダンスを披露し、感動を与えてくれる。それがMaSaKoさんのダンスだ。「ダンスプロジェクトEnvoyer de MaSaKo (アンボワイエドゥ マサコ)」の主催者で、今月の15、16両日には「世界館」(大阪市港区)で「LOVE SHOUT ~熱い愛と魂の叫び!!~」の大阪公演を行う。海外での活躍を含め、華々しい経歴を持つ彼女だが、元は「いじめられっ子」だったと告白する。いったいどんな女性なのか。話を聞いてみた。
堺市出身、高校卒業後に単身で渡米
「Envoyer de MaSaKo」は、“自己発信”をテーマに MaSaKo さんが2008 年に立ち上げたダンスプロジェクトだ。彼女は大阪府堺市出身。5歳の頃から8年間バレエを学び、高校からは新体操を始め、インターハイにも出場した。高校卒業後、単身アメリカ・ロサンゼルスへ。渡米後まもなく、ジェニファー・ロペスを輩出したダンスユニット“Fly Girls”(アメリカの人気番組内のダンスユニット)のオーディションを受け、2000 人の中から日本人ダンサーとして初めて選ばれ、番組のレギュラー出演を果たした。 その後、日本に拠点を移すために帰国し、やがて劇団四季に入団。 退団後はプライベートで訪れたニューヨークで、アーティスト“Mya”に出会い、Mya米ツアーにも参加した。2000年~2010 年までは久保田利伸全国ツアーの振り付け、兼ダンサーとして出演するなど、まさに海外でも国内でも忙しく活動してきた。 順風満帆かと思われたが、本番中でのアクシデントにより左膝前十字靭帯断裂。ダンスを続けるのは無理だとも言われたが、2か月間のリハビリを経て復帰。今では海外での様々な経験を活かし、後進のダンサーの育成にも力を入れ、「放送芸術学院専門学校」の特別講師の肩書も持つ。
子供の頃、いじめに遭ってました
──ダンスを始めたきっかけは? MaSaKo:姉が日本舞踊をやっていて、私も習ったんですけど、どうも合わなくて。バレエ、新体操を経て、たまたま観た映画に刺激を受け、こんなダンスがあるんだと思い、次なるステージを求めてロサンゼルスへ行ったんです。アメリカでの生活は大変でした。言葉はしゃべれないし、車もないし、友達もいないし、それに差別がすごくひどくて、いじめられました。でも、テレビの番組に受かったとたんに、180度変わって差別がなくなりました。 ──元々いじめられっ子だったそうですが…。 MaSaKo:私は子供の頃からいじめに遭ってました。片親だってことと転校生だってことで…。ダンスに没頭してたので友達もあまりつくれず、内向的だったんですよ。そういうのからいじめに遭って、そのたびに母が「歯を食いしばって頑張れ」って言ってくれて。少しずつ慣れて自分を出せるようになった。海外に行ったことはすごく大きかったです。 ──ダンスはどんな指導方法なんでしょうか。 MaSaKo:私の場合、振り付けだけでなく、衣装、照明など諸々の準備も全部やっていて、公演のステージは3か月くらい前から練習に取り組んでいます。指導の中に心のメンテナンスを取り入れている。ダンスには心のメンテナンスが重要なんです。30人くらい1人1人の話を聞く。今抱えている悩みとか、ダンスのことだけでなく、家庭の悩みとかも…。レッスンが終わるたびに60件、70件のメール(ラインも)が届きますね。みんな何かを抱えながらやっているので、話を聞いてすっきりしてそこから始めないといけないと思っています。