注意書きに車内アナウンス…街に溢れる“過剰な親切”の異常性。自ら考え判断できない日本人の危機
服装のアドバイスまでする「お節介な」天気予報
冒頭に書いたトイレの忘れ物注意の張り紙は、数年前まではなかったように思う。近年、トイレに携帯電話を忘れるケースが増えており、施設側は手を焼いているのだろうと想像できるが、「忘れ物注意!」でも十分に喚起できるはずだ。「ケータイ電話、お財布、お買い上げ商品、最後にチェックしましょう!」とまで記すことに“やり過ぎ”な感が否めないのだが、こうした状況をもたらしているのは何か。 「海外に行くとわかりますが、ほとんどの国ではトイレの注意書きはもちろん、電車内では乗り換え案内すらアナウンスがありません。そのため注意書きやアナウンスについて海外の人に聞くと、『日本は特別に親切だと思う』と褒められることもあります。 とはいえ、親切が過剰。『手取り足取り面倒を見ることが親切』といった価値観に縛られ、本来、売るべき商品やサービスとは別の “面倒見の良さ”を競い合うサービス合戦になっています」 わかりやすいのが 、近頃、やたらとお節介になってきた“天気予報”だ。 「最近は、降水確率や最高気温、最低気温、日中の気温の変化を予想するだけでなく、『薄手の上着を羽織って出たほうがいいでしょう』『交通機関に遅れが出るかもしれないのでいつもより早めに出ましょう』などの具体的なアドバイスまでするようになっています。 その結果、それまでは『日中の気温が25度なら半袖でいいかな、帰りは遅いから羽織るものが必要かな』といったことを考えていたはずが、自分では考えなくなり、アドバイス通りの服装で出かけるようになっている。 アドバイスをもらうことに慣れてしまい、言ってくれなければ何を着たらいいかわからない、なんて人もいると思います。“手取り足取り面倒見の良い”アドバイスによって、自分で情報を総合して考え、判断する心の習慣が失われていくのではないでしょうか」 ◆スマホがないと、目的地に辿り着けない…… 榎本先生は、『思考停止という病理』の中で、「文明の利器は、利便性のもとに、私たちから考える機能を奪っていく」とも考察する。 「多くの人が初めての場所を訪れるときはスマホを頼りにしていると思いますが、それはつまり、スマホに命じられなければ道も曲がれないし、バッテリーが切れたら目的地に辿り着けないということです。 一方、スマホがないときは、外出前に目的地を確認した人も多かったはずで、そうすれば頭のなかに“認知地図”ができ、それを頼りに辿り着けたわけです。 自分の能力の肩代わりをしてくれる便利なものができると、人はそれに頼ってしまうので能力は衰えます。脳も使わなければ衰退します。 ですから、文明の利器も、親切な注意書きも、過剰なアナウンスも、便利で助かる面はあるとしても、思考停止に陥らせ、本来あるはずの能力を衰退させる。そのことに気づくべきではないでしょうか」