「死にたい!と泣き叫んだ」立花理佐、直腸がんで手術後にうつ病発症、それでも前を向いたきっかけ
立花さんは、つらかったはずの時期のエピソードさえも、笑い話をまじえて話してくれた。 「息子にお弁当を作っていたので、私が入院している間は学校の食堂で食べることも多かったようなのですが、夫が時々作ってくれて。なんと、その具材が高級スーパーで買ったうなぎとか! 夫が息子のために頑張ってくれたのはわかるのですが、病室でその話を聞いた時は『ちょっと待って。私のいつものお弁当の中身と違いすぎる! 息子の舌が肥えて、もう冷凍食品、入れられないじゃん』って思ってしまいました(笑)」
一つでも当てはまる症状があれば受診してほしい
その息子さんが高校を卒業する時、立花さんは手紙を受け取った。 「『コロナがあって、入学する時にはママのがんが見つかって、手術をして、初めのころは大変なことがいろいろあった。でも、楽しい高校生活を送ることができて、ありがとう』というような内容の手紙で、うれしかったですね。この子の成長をまだずっと見守れる幸せを実感しました」 大病を経て、多くの人に健診や検査を受ける大切さを伝えたいと思っているという。 「実は、血便やお尻の痛みといった自覚症状が出ていたころ、直腸がんを患った方が出演するテレビ番組を見たんです。『私の症状と似ているなぁ』と思ったのですが、『あれは同じだけど、この症状はないから、大丈夫かな』と勝手に解釈をしていました。だからこそ、一つでも当てはまる症状があれば病院を受診していただきたいんです」 立花さんの友人の中には、大腸がんを早期発見し、大事に至らなかった人が複数名いるそうだ。 「『ちょっと調子が悪いだけかと思ったけど、理佐のことがあったから、早めに病院に行って見つけてもらったの』と聞いた時には、私自身も救われたような気持ちになりました。私もね、もう少し早くに受診していれば、あそこまでの大手術にはならなかったでしょうし、毎回の検診の時には、再発してたらどうしようって、すごくナーバスになります。もうあんな経験は二度としたくない!って心から思いますもん。私の経験が誰かの役に立ってくれますようにと願いながら、これからもがんの体験を発信しつづけていきたいと思っています」 取材・文/熊谷あづさ 立花理佐さん 1971年生まれ、大阪府出身。1986年に「第1回ロッテ CMアイドルはキミだ!コンテスト」で優勝し、芸能界デビュー。ドラマ『毎度おさわがせします3』や映画『ビー・バップ・ハイスクール』に出演。歌手としてのヒット曲も多く、現在はバラエティー番組などにも出演し幅広い分野で活躍中。