フェンシングの高1三銃士、10年後につかんだ五輪メダル【パリ五輪】
パリ五輪で印象に残っているのがフェンシング女子サーブル団体で銅メダルを獲得した日本代表。サーブル種目での日本のメダル獲得は男女を通じて初めてだった。表彰台で喜ぶメンバーの中に江村美咲(25)=立飛ホールディングス、大分市出身=と高嶋理紗(25)=オリエンタル酵母工業、福岡県大牟田市出身=の姿を見て、10年前の記憶がよみがえり、感慨深い思いがわき上がった。 ■江村らの活躍を報じる10年前の紙面【写真】 この写真を見てほしい。中央が10年前の高嶋、右端が江村だ。ともに当時は高校1年生の15歳。2014年の韓国・仁川アジア大会に出場する期待の九州出身の若手として、当時東京運動部の記者だった私が取材。「九州高1三銃士」の見出しで西日本新聞の紙面で紹介した。仁川大会も出張して取材した。 2人は才能を認められ、日本オリンピック委員会(JOC)が中高生を対象に将来のトップ選手を育成する事業「JOCエリートアカデミー」メンバーとして、東京・ナショナルトレーニングセンターを拠点に練習を積んでいた。 高嶋はもともとソフトボールに励んでいた。小学生時代、福岡県が実施した小中学生の適性競技を見極め、国際舞台に送り出すタレント発掘事業に参加。反応の良さが俊敏性を求められるサーブル向きと評価され、中学入学を機に東京へ。「ルールも知らず心細かった」と振り返っていたが、競技を始めてわずか4年目で日の丸を背負うまでに成長していた。 江村は小学4年から競技を始めた。父は1988年ソウル五輪代表選手で2008年北京五輪監督を務めた宏二さん。アカデミー入りして3カ月後にはアジア選手権で個人2位に入るなど、当時から将来の可能性を感じさせていた。 残念ながら仁川アジア大会では思うような結果は残せなかった。高嶋はサーブルの個人戦で右膝を負傷。団体戦の欠場を余儀なくされ、涙に暮れた。その団体戦は初戦で強敵中国に35―45で屈した。江村は奮闘したが、力及ばなかった。江村は「この経験を糧に今度は五輪でメダルをつかみたい」と誓っていたのを思い返す。 10年の歳月を経て有言実行となる五輪メダルにたどり着いた。仁川でのあの苦い経験がメダルの糧になったはずだ。(大窪正一) 【#OTTOパリ五輪情報】
西日本新聞社