【現場】済州アルトゥル飛行場に行けば、日帝強制動員の実体が一目でわかる(2)
(1の続き) 坑道陣地の上の高射砲陣地は、済州オルレ(散策路)10コースが通る。以前は南に松岳山(ソンアクサン)と海、北西にモスル峰が見えたが、今は森が成長したため眺めることができない。散策路を歩いていたキム・ジュニルさん(45)は、「済州道民の強制動員の実情を詳しく知ることができるとよいのだが、昔の高射砲の痕跡がわかる程度。もう少し親切な案内板が必要だし、周りの木を整理すれば見渡せるはずなのに残念だ」と話した。 南元面(ナムウォンミョン)のキム・ウプムさんも15歳だった1943年に「勤労報国隊」という名で強制動員された。同氏は「あの時は幼い人であろうが年配者であろうが、みな労務者として送られた。ある日、面事務所に集結しろと言われて行くと、私がいちばん若かった。大静の上モ里(サンモリ)の兵舎新築工事の現場で1カ月ほど働き、家に帰ったら1カ月ほど後にまた行って働かなければならなかった。石を置いてセメントを打って高射砲陣地を作るのにも動員された」と話した。 トラクターが畑を耕して立てている土ぼこりの間を、ツバメが低く飛びながら餌を探している。やがて青い空へと昇っていく。8月15日が近づいているが、2時間あまりの間にアルトゥル飛行場一帯で出会った観光客は2人のみだった。済州道はこの場所での平和大公園造成事業を推進している。コンテンツの貧弱さを懸念する人もいる。格納庫の前で5年間にわたって300坪規模の豆もやし用の豆畑を耕作しているKさん(62)は、「学生や外国人がたくさんやって来るが、最近は暑いせいか来ていないようだ」と話した。豆畑で草取りをしていたKさんは、「平和大公園を作るというが、私たちは農地を差し出すだけということになる。誰が喜ぶか」と話した。この一帯の駐車場には案内文が複数散らばっている。整備が必要に思える。格納庫の見学に訪れた観光客のシン・スンウさん(24、全羅北道)は、「こんな遺跡が残っているのは驚くべきこと。せめて案内文がきちんと整備されていたらいいのに、何か物足りない感じ。遺跡の立派さに比べてコンテンツが不足していると思う」と話した。 格納庫のすぐそばには、朝鮮戦争勃発直後に予備検束を大義名分として拘禁された252人の住民(41人は行方不明)が虐殺された「ソダルオルム予備検束犠牲者追悼碑」が立っている。今月10日にオープンした「百祖一孫歴史館」には、「予備検束と集団虐殺の加害者」と題して、軍と警察の指揮・命令系統の最高責任者として「大統領李承晩(イ・スンマン)」を掲示している。済州4・3事件の頃に「過酷な方法」を動員して済州島事態を鎮圧せよと指示した大統領李承晩は、2003年に政府が発表した「済州4・3事件報告書」でも大量人命被害の最終責任者とされている。 済州現代史の研究者は、「アルトゥル飛行場一帯は日帝の強制動員と李承晩の実体が分かる場所」だとして、「平和大公園建設に先立って歴史教育の場として利用できるよう、案内板と遺跡周辺の整備作業が必要だ」と語る。 国内外で推進される李承晩元大統領の記念事業に反対してきた済州4・3諸団体は、最近の声明で「KBSが準備中だといわれる李承晩のドキュメンタリーは、済州4・3事件などの現代史の主要事件に対する一方的な視点を含んでいる」として、放送の中止を求めている。 ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )