キャリアも家族も失い「死んだ鹿の目」だった俳優、東出昌大さんが、「また生きよう」と思えた山暮らしの魅力 「人間社会の『常識』が無駄に思える」
世捨て人のように山に逃げ込んだわけではなく、実は幼少の頃から自然の中で過ごすのが好きだったと言う。「(俳優として)忙しくしていた頃からリタイア後のことはよく考えていました。東京に住み続けるつもりはなかった」。今は古民家に寝泊まりしながら、敷地内に廃材を使った山小屋と五右衛門風呂を建設している。畑で野菜も作っているほか、近々地元の人に烏骨鶏(うこっけい)を譲ってもらい育ててみる予定だ。 「獣の骨を砕いて飼料にすれば無駄がないし、卵も採れる。もうすぐ山菜も出てくるし。採れたては本当にうまいんですよ!」と語る表情は、何とも生き生きとしていて楽しそうだ。 ▽鹿の内蔵を触って感じた圧倒的な「生」 インタビューを終えたところで偶然にも鹿が運ばれてきた。ワナにかかって地元の人が締めたばかりだという。すぐ解体するというので見せてもらうことになった。 届いたのは2歳の雌。東出さんがナイフで腹を割くと、ふわーっと湯気が立ち上る。「まだあったかい。触ってみますか」と言われ、恐る恐る腹の中に手を入れる。思わず「えっ!」と声が出た。想像以上の熱さと柔らかさ。(もちろん鹿は死んでいるのだが)それは圧倒的な「生」の感触だったからだ。
東出さんが手際よく内臓を取り出し、逆さにつるして皮をはいでいく。 「やってみますか」と言われ、私も恐る恐るナイフを握った。皮を引っ張りながら皮と肉の間に刃を入れていくと、意外と難しくはない。「鹿肉は味にそれほど個体差はないですが、さばき方でだいぶ変わってきます」と東出さんが手を動かしながら教えてくれた。 ▽他の命で生かされている 切り出したばかりの背ロース肉をお土産にもらい、帰宅してから教わった通りにバターで焼いて、家族みんなでいただいた。くせのない柔らかな赤身は、熊とはまた全然違うおいしさだ。 その日の取材を振り返り、鹿の肉を食べながら感じたのは、よく言われる「命をいただくありがたみ」だけではなかった。自分は他の命を食べなければ生きていけないこと。そして自分もまた、この鹿のように何の前触れもなく死ぬかもしれないこと…あれ、私、熊爪に近づいている? 「僕の人生なんて大したものじゃない。でも狩猟をやっていると生かされていると感じるし、また生きよう、と思うんです」。取材中に聞いた東出さんの言葉が、実感を伴ってよみがえった。