キャリアも家族も失い「死んだ鹿の目」だった俳優、東出昌大さんが、「また生きよう」と思えた山暮らしの魅力 「人間社会の『常識』が無駄に思える」
2月下旬、小雪のちらつく北関東の山中。待ち合わせ場所についたというのに、携帯はまさかの圏外だった。どうしたものかとキョロキョロしていたら、ひげを生やした長身の男性が大きく手を振りながら近づいて来る。俳優の東出昌大さん。この地で半自給自足生活を始めて約2年になる。 【写真】アイヌの若者はハンターになった 現代に染まった伝統と文化、民族の魂ここに
「人けがないから心配されたでしょう」と笑顔で迎えられた。訪問した目的はインタビュー。熊撃ちの猟師が主人公の直木賞受賞作「ともぐい」を、狩猟をしながら山で暮らす東出さんがどう読んだか聞いた。話は東出さんが移住を決めた経緯や、インターネット上で流れたデマの真相にも広がっていった。(共同通信=安藤涼子) ▽人間社会の『こうあらねば』が、山の中では無駄 勧められるままに鹿の革が敷かれた椅子に座ると、東出さんが手際よくまきを割り、火をおこし始める。寝泊まりしている古民家に暖房器具はない。ガスも使っていないと言う。外はマイナス2度。小枝がパチパチとはぜる音が山の中に響く。 「ともぐい」は、日露戦争前夜の北海道を舞台に、孤高の猟師「熊爪」の生きざまを描いた長編小説だ。熊との闘いや自然を描写する迫力の筆致が評価され、今年の直木賞に輝いた。まずは率直な感想を聞いた。 「動物の近くで暮らしながら日々考えていることが見事に言語化されていました。獲物を眺めた時に胸に去来する思いを、これだけ筆致豊かに書かれるということは、筆者は猟師なんじゃないか?と疑ったくらいです」
実際には筆者の河崎秋子さんは実家が酪農家。自身も羊を飼って肉を出荷していたことがあり、獲物の解体場面には圧巻のリアリティーがある。 熊爪はどこか人間離れした人物だ。異常に鋭い嗅覚。獣の命を奪うことをちゅうちょしない代わりに、自らの死もいとわない。 「熊爪の言動は人間から見れば粗野で粗暴だろうけど、非常に道理が通っていると僕は感じる」と東出さん。「山の中では、例えば身ぎれいにすることみたいな人間社会の『こうあらねばならない』とされていることが、非常に無駄に思えてくるんですよね」 ▽生きている時は奥に光がある 自身が行うのも、基本的には熊爪と同じ「単独忍び」と呼ばれる猟。全国公開中のドキュメンタリー映画「WILL」は東出さんの山暮らしに密着し、獲物を追う姿をカメラで捉えている。猟銃を片手に1人で山に入り、獲物も自力で山から下ろし、解体する。映画には50㌔ほどの鹿をたった1人で運び下ろすシーンもある。「獲物を山から下ろす時って火事場のばか力なんです。やっぱり自分で奪った命の重みを感じるからかな。日常生活やスポーツでは発揮できない力が出る」