【ウエストランド河本太の『人生相談する側チャンピオン』】第2回 爆笑問題さん! 僕は井口の隣でうなずいていればいいんですか!?
M-1チャンピオンでありながら、これまで数々のやらかしをしてきた迷える40歳、ウエストランドの河本太が、さまざまな先輩・仲間に人生相談を受けに行く不定期連載「人生相談する側チャンピオン」。 【写真】太田光 爆笑問題の太田光さん、田中裕二さんを迎えた第2回は、人生相談のはずが前回の流れから漫才の歴史をたどることに...!?(全4回、4日連続更新) *** ■そもそも漫才とは? ――前回、「ツービートとウエストランドの漫才スタイルはほぼ同じ」という話がありましたが、井口さんがひとりでボケてツッコむウエストランドのスタイルは、漫才の源流に近い形なんでしょうか? 太田 いや、漫才の源流というともっとカッチリした演芸で、さらにその前の世代なんですよ。エンタツ・アチャコとか中田ダイマル・ラケットとかから近代漫才が始まって、てんやわんや師匠とか、Wけんじとか、(青空)球児・好児とか、我々が子供の頃見てた演芸場に出てる演芸の人っていうのは、作家がいて、きちっと割り振った台本があって、それを覚えて客前に出るものだった。 でも80年代に漫才ブームが起こって、そういうこれまでの流れは関係なくなってしまった。ツービートも紳助・竜介も、B&Bもザ・ぼんちも、のりおよしおも、それまでのセオリーを無視した漫才をやって、言ってしまえばコンビふたりのバランスはすごく悪いんですよ。面白いほうがただただ面白いことを言って、その横に、漫才の形式に見せるために相槌を打つ人がいるっていう。でもバランスは悪いんだけど、我々はそれを見ててすごく新しく感じたんですよね。で、俺らはさらにそういう漫才に影響を受けてやってるから、もっと素人芸なわけですよ。劇場も行ってないし師匠もいないし。 ところがそこに学校っていうのができるわけ。授業で「漫才とはこうやるもんです」って教えるから漫才の定義みたいなものが生まれて、そこでずいぶん意識が変わったんじゃないかっていう気がする。 田中 だって今は日常から違うもんね。「ツッコんでよ」とか「ウケるよね」なんて言葉は皆無だったからね。「ツッコミどころ満載」なんて言わなかったもん。「スベる」とか「サムい」とか、ああいう言葉を一般的に使うようになったもんね。 太田 ああいうのは楽屋ネタだったよね。つまんないことになったなーって思うよ。 河本 じゃあそのことに関係するふたつめの相談なんですけど...。 人生相談②「ウエストランドの漫才において僕は、これからも井口の横でうなずいていればいいんでしょうか?」(東京都・河本太・40歳) 河本 僕らのスタイルがもしツービートさんたちに近いとなると、これからも井口に対してうなずき続ければいいってことですか? 太田 それじゃダメでしょうね。 一同 (笑) 田中 もし河本が『(オレたち)ひょうきん族』の頃にいたら、うなずきトリオの一員としてすごく人気出たと思うんだよ。 太田 それもほんの一瞬だけどね。B&Bの洋八さんと、紳助・竜介の竜介さんと、ビートきよしさんで、うなずきトリオっていうのがいたんですよ。 田中 河本だったらうなずきトリオの中でも一番になれたと思うよ。だってさ、大瀧詠一さんに曲を作ってもらえたんだよ。すごいじゃない。 太田 コイツはその3人よりもしゃべらないですからね(笑)。 田中 でもさ、3人はポジション的なことでいうと一応ツッコミなんだよ。まあB&Bの洋八さんはツッコミもせず、ただ困ってるみたいな人だけど。でも河本はボケなんだよね。そこが面白い。