片岡義男の「回顧録」#2──ゴローの若さが、僕に500ccを選ばせた 『スローなブギにしてくれ』とホンダドリームCB500FOUR
■排気量をアップして余裕を増した2世代目 CB550FOUR(1974年) 1974年、CB500FOURは排気量を50㏄拡大し、「CB550FOUR」へと進化した。排気量を拡大した目的は、動力性能というより扱いやすさを向上させるためで、最高出力は2psアップの50psに抑えながら、その発生回転数を500rpm下げ、中低速トルクを向上させた。また、安全面の向上も行われ、ヘッドライトに、ハイ・ロー切り替え時に消えることのないオーバーラップ式を採用。ギアが入っている際にはセルモーターが作動しない機構を組み込むなど、さまざまな機能充実が図られた。 ■排気音対策のため、集合マフラー仕様を追加 CB550FOUR-Ⅱ(1975年) 1975年、騒音対策のため、4本出しマフラーをエグゾーストパイプから1本に集合し、右側1本出しに変更したカフェレーサー風のCB550FOUR-Ⅱが追加設定された。このモデルでは、エアクリーナーにインテークダクトが採用され、吸気音の低減も実現。集合マフラーの排気脈動効果により、パワーフィールもより中低速でねばりのある特性となった。 また、燃料タンク容量も14リットルから17リットルに増やされている。 ■メガホンマフラーとなった最終モデル CB550FOUR-K(1977年) 1975年の免許制度改正により、400㏄を超える排気量に乗ることが難しくなったとき、CB750FOURの豪華さと、軽快な操縦性を両立したモデルとして登場したCB500FOURの存在意義は大きく変わった。時代の主役は400㏄となり、500ccや650ccといったナナハン未満の排気量車は、国内でのポジションを見失いはじめていたのだ。 1977年のCB550FOUR-Kでは、4本出しのメガホンマフラーが採用されるも、その雰囲気は非常に地味にまとめられていた。そして1979年には、ついに後継モデルであるCB650にバトンタッチし、その役割を終えた。 80年代以降、500~600㏄という排気量のオートバイは、400㏄モデルと車体を共用しながら、欧州市場を中心に販売される。皮肉なことに、日本の免許制度によってはじき出されたこれらのオートバイの多くは、400㏄の車体との組み合わせがベストバランスを生み、海外で高い評価を受けることになった。 文=KURU KURA編集部 写真協力=本田技研工業(株) 参考資料=自動車ガイドブック(日本自動車工業会)、日本のモーターサイクル50年史(八重洲出版) (JAF Mate 2016年12月号掲載の「片岡義男の「回顧録②」」を元にした記事です。記事内容は公開当時のものです。)
文=片岡義男/KURU KURA編集部