片岡義男の「回顧録」#2──ゴローの若さが、僕に500ccを選ばせた 『スローなブギにしてくれ』とホンダドリームCB500FOUR
HONDA CB500FOURミニヒストリー
1979年に文庫本化された『スローなブギにしてくれ』は、5つの作品から構成される短編集である。カバータイトルになったこの作品では、70年代という時代を背景に、エキセントリックな猫好きの少女と、彼女に翻弄されるオートバイ好きの青年の、不器用な恋愛模様が描かれている。 5つの短編の中から、同作品がクローズアップされたのは、やはり藤田敏八監督によって映画化されたことが大きい。古尾谷雅人、浅野温子、山崎努、原田芳雄らの俳優陣をそろえて制作された映画『スローなブギにしてくれ』は、60頁弱の原作に他の片岡作品をミックスして、映画ならではのストーリーに仕立てられており、公開と同時に大きな注目を集めた。 小説は、夕暮れの第三京浜を疾走する主人公ゴローの目の前で、マスタング・マッハ1から少女が放り出されるシーンで始まる。このとき登場するゴローの愛車が、今回ご紹介するホンダドリームCB500FOURだ。 500ccや600ccという排気量のオートバイは、ナナハンに対し、どこかマイナーな印象があった。だが、一部のライダーは敢えてこの排気量をチョイスし、ジャストサイズであることを武器に、巧みなライディングでナナハンの鼻を明かすことを好んだ。ゴローもまた、そんなライダーのひとりだったのかもしれない。ホンダ4気筒の第2弾として登場したCB500FOURとは、どんなオートバイだったのだろうか? ■CB750FOURのダウンサイジング版として登場 CB500FOUR(1971年) 1961年、世界GPの250ccクラスに投入されたホンダRC162は、第2戦のドイツGPで高橋国光が日本人初優勝を飾ると、その後は連戦連勝を記録。RC181で最高峰500ccクラスに挑んだ1966年には、史上初の同一メーカーによる5冠(50/125/250/350/500cc)を達成、日本製4気筒の優秀性を全世界に示した。その成果は市販モデルの開発にもフィードバックされ、ホンダ製4気筒モデルは、市場においても世界を席捲した。そんな時代の象徴ともいえるのが、1969年に発売された「DREAM CB750FOUR」である。 OHC4気筒に、気筒あたり一つずつのキャブレターとマフラーを装備したこの贅沢なモデルは、メカニズム、動力性能ともに世界一の高級車を目指していた。同排気量のライバルと比べても、その差は歴然だった。英国の3気筒モデル、トライアンフ・トライデント、BSAロケット3、2気筒のノートン・コマンドがすべて60psの最高出力であったのに対し、CB750 FOURは67psを発揮。変速機もライバルの4速に対し、5速を採用していた。 発売と同時に世界中で大人気を博したCB750FOUR。しかしそんなオートバイにも弱点はあった。日本人の体格にはやや大きすぎたのである。国内市場の意見を重視したホンダはCB750FOURと同等の最新メカニズムを採用しつつ、より扱いやすいモデルの開発に着手する。そうして誕生したのがCB500FOURであった。 CB500FOURは、カム軸受加工方式の採用で、軽量コンパクトに仕上げた4気筒OHCエンジンを搭載。また、キャブレターには、閉じ側にもリンク機構を持つ強制開閉式を採用するなど、より軽快でリニアな操作性を追求していた。軽量なボディは750に比べて40kg近く軽い196kg。それでいて750と同様の4本マフラーを装着した外観は、当時の500ccの中でも一際、高級感を醸し出していた。