「世界のホンダ」を襲った3度の大きな危機と、反転攻勢のきっかけとは?
リーマンショックによる円高に加え、開発の真っ最中の2011年には東日本大震災に見舞われた初代N-BOXも、発売直後から幅広い層の支持を受けました。結果、車両の生産を行う鈴鹿(すずか)製作所(三重県鈴鹿市)はフル稼働となり、雇用を守ることができました。2023年10月に3代目が発売されたN-BOXは、現在でも高い人気を誇り、新車販売ランキングの軽自動車部門において9年連続で1位、登録車を含む新車販売台数でも2年連続で1位を獲得し、日本で一番売れている車になっています(2023年末時点)。 そしてどん底にあえいでいたF1は私が開発に携わってから3年目となる2019年シーズン、新たにレッドブルとパートナーを組んで初優勝を飾ります。この年には3勝を挙げますが、翌年には新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威をふるい、GP開催の中止や延期が相次ぎました。そんな中でも、レッドブル・ホンダは着実に速さを見せていたのですが、2020年10月にホンダは2021年シーズン限りでのF1撤退を発表します。 撤退が発表されたとき、F1プロジェクトの開発者に残されたのは1シーズンしかありませんでしたが、なんとしてもF1の頂点に立つために私は新設計のパワーユニットを1年前倒しで投入することを決断。わずか5ヵ月で新しいパワーユニットの開発を成功させ、ホンダF1として最後のシーズンにレッドブル・ホンダのマックス・フェルスタッペン選手がドライバーズチャンピオンを獲得しました。 私は結果として会社員時代に直面した大きな危機を乗り越えることができましたが、「それぞれのプロジェクトに取り組む前から成功する自信があったのか?」と問われると、その答えははっきりしません。 私は入社2年目に第2期(1983年から92年)のF1プロジェクトに配属されました。ホンダはウイリアムズやマクラーレンと共に何度もタイトルを獲得し、第2期F1活動は大きな成功を収めます。そこで培(つちか)った自信が私の中で大きな原動力になっていたのは確かでした。「ゼロからスタートして、フェラーリ、ポルシェ、BMWという自動車メーカーを倒し、世界最高峰のF1で頂点に立った」 自動車やF1のパワーユニットの開発は、メーカーや技術者の国籍は違えども、同じ人間がやっていることです。だから「俺だってなんとかなるだろう」という漠然とした思いはありましたが、「俺ならなんとかしてみせる」と確固たる自信があったわけではありません。 正直にいえば、自分でもなぜ危機を乗り越えて、成功することができたのかわからないのです。 「自分としては普通に仕事をしているつもりだったけれど、技術者として“普通じゃない”ことを成し遂げることができたのはなぜか?」と、自分自身でも感じていました。この疑問を、一緒に働いていた同僚にぶつけてみたこともあったのですが、私が納得するような返事がきたことはありません。 今回、私は初めて自分の本を書くというチャンスをいただけたので、自分の技術者人生を振り返りながら、「なぜ危機を乗り越えて成功をつかめたのか?」という問いへの答えを見つけ出したいと思っています。
浅木 泰昭