ミニスカートに網タイツで…時代考証ガン無視の「お色気シーン」が昭和のテレビで流れた「背景」
大ヒットしたTBSテレビの金曜ドラマ『不適切にもほどがある』では、昭和のドラマの「現代ではありえないような描写」が折に触れられた。振り返れば、本筋とはまるで関係のない「お色気シーン」が挿入されていたことも多く、殊にそれは時代劇など歴史モノで際立った。歴史作家で大の歴史ドラマ好きである筆者が、記録と記憶をたどりながら時代劇の「ふてほど」を考察する。 【写真】由美かおるが明かす「初めてオールヌードになったとき」の大騒動
ミニスカートに網タイツで
昭和38年(1963)生まれの筆者主観だが、テレビ時代劇にはっきりとお色気要素が添えられたのは、昭和42年(1967)4月から翌年3月まで関西テレビ・フジテレビ系で放送された『仮面の忍者赤影』が最初ではなかろうか。 同作品は少年少女向けに加え、数々の歴史漫画を手掛けた横山光輝の漫画を原作とした特撮時代劇ファンタジーで、放送時間帯は水曜日の19時からの30分枠。1960年代には子供枠の時間帯だが、勤め先が近ければおじさんも帰宅している。主人公の赤影を演じた坂口裕三郎が文句なしのイケメン(常に赤い仮面をつけているが)だったから、一家揃って楽しめる作品でもあった。 作中の時代は、「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃」だから戦国時代の終盤である。「金目教篇」「卍党篇」「根來篇」「魔風篇」の4部構成からなり、お色気要素が加味されたのは第3部の「根來篇」である。 赤影の敵となるのは、織田信長の命を狙う根來忍軍の中でも腕利き揃いの根來十三忍。その中に「虫寄せの風葉」と「人むかでの矢尻」という女忍者がいて、2人ともミニスカートに網タイツという、時代考証を完全に無視したコスチュームである。 なおかつ、あえて崖上でのローアングル場面、すなわちスカートの中が丸見えのシーンまで入れられていたのだから、制作者の明らかな意図は見え見えだった。 なぜこの時代のテレビ時代劇にこうしたお色気要素が入れられたのか。
おじさんのためのテレビ
現在からは想像できないかもしれないが、昭和20年代はまだテレビが普及しておらず、テレビが一家に最低でも一台が当たり前になったのは昭和40年代(1965~1974)のことだった。 当時、平日のテレビのチャンネル権は、日中は主婦、夕方は子供、父親の帰宅後は父親というように時間帯により変化した。このため、いわゆるゴールデンタイム(プライムタイム)は、父親の見たい番組を他の家族も見させられた。 もちろん個人的な嗜好の差もあるが、昭和40年代のおじさんはプロ野球やプロレス観戦も好きなら、勧善懲悪の時代劇も好きだった。時代考証を無視していても、艶っぽい内容であればおじさんからクレームが来ることもあるまい。おそらくこのような思考のもと、時代劇にそういった要素が加えられたのではないか。 折しも1960年代は、普段着としてのミニスカートとホットパンツが発明され、一大ブームを巻き起こした時期にあたる。1960年代後半には、日本にもウーマン・リブ運動が上陸していたが、その主眼は男女差別の撤廃と女性の解放に向いており、「性の商品化」が問題視されることはほとんどなく、そもそも「性の商品化」という言葉も概念もまだなかった。 こうした社会背景から、時代劇における色気シーンの増加が半ば黙認されたフシもある。 事実、『仮面の忍者赤影』から5年後の1972年4月から毎日放送・NET(現・テレビ朝日)系列で放送された『変身忍者 嵐』や、フジテレビ系列で放送された『怪傑ライオン丸』では主人公と行動をともにするレギュラー出演者が「健康的な」お色気役を担っていた。