川中美幸「八代亜紀さんがお年玉を渡す姿が忘れられない」藤山一郎「東京ラプソディ」から秋川雅史の「千の風になって」まで、テイチク90年の軌跡
◆歌は世につれ、世は歌につれ 時代は大きく変わってきたが、まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」である。テイチク90年の歴史のなかで、さまざまなモーメントがあったが、ここでは1981(昭和56)年にタイムスリップしてみよう。 テイチクでは当時、年始には「テイチクヒットパーティ」を開催しており、パーティが行われた1981年の前年となる1980年に活躍したアーティストを讃えてヒット賞が贈呈された。 パーティには石原裕次郎、八代亜紀、高田みづえ、川中美幸、雅夢の2人といった、ジャンルも世代も異なるアーティストたちがそろい、晴れやかに鏡開きを行った。 そんな彼らの当時(1980年~1981年)を振り返ってみたい。テイチクを代表するビッグスター、石原裕次郎は1934(昭和9)年生まれ、つまりテイチクと同年に誕生している。 この頃は、テレビ『西部警察』を自ら制作、石原プロモーションの頼もしきボスとして活躍していた。前年の1980(昭和55)年12月には、八代亜紀とのデュエット『わかれ川』とカップリング『なみだの宿』をリリースしたばかり。 昨年、惜しくも亡くなった日本の歌謡史を作り上げたシンガーの八代亜紀にとって、この年のヒットパーティは特別なものとなった。 1980年4月にリリースした『雨の慕情』が、前年の『舟唄』に続く大ヒットとなり、第11回日本歌謡大賞をはじめ数多くの音楽賞に輝いていた。このパーティの直前1980年12月31日には、前年に惜しくも逃した日本レコード大賞を『雨の慕情』で受賞したばかり。まさに晴れがましい瞬間のショットである。
◆人に歴史あり、歌に歴史あり フォーク・デュオの雅夢(三浦和人、中川敏一)は、1980年5月、第19回ヤマハポピュラーソングコンテスト、つま恋本選会で『愛はかげろう』で優秀曲賞を受賞。9月にテイチクからレコードデビューを果たし69万枚のヒットを記録していた。 高田みづえは、サザンオールスターズのカヴァー曲『私はピアノ』を前年7月にリリースして日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞。自身のキャリアで最大のヒット曲となった。まさにアイドルから大人のシンガーへと成長した瞬間でもある。 そして川中美幸は、1980年3月にリリースした『ふたり酒』が、100万枚を超すミリオンセラーとなった。1977年にテイチクヒット賞を受賞した『あなたに命がけ』以来、大ヒットに恵まれなかった川中が「25歳までにトライしよう」と24歳の誕生日にレコーディングした『ふたり酒』は80年代を代表する演歌の1曲となった。 テイチクに残された「ヒットパーティ」の写真には、こうしたさまざまなモーメントが記録されている。まさに「人に歴史あり」「歌に歴史あり」である。 次ページ 三浦和人さんと川中美幸さんからのメッセージ