女子ジャンプ、高梨沙羅の銅メダル獲得の背景に何があったのか?
そこでは、各選手の課題を明確にした。「アプローチスピードの向上」「重心の位置の確認」「足裏の感覚の研ぎ澄まし」などを追求した。ベストの長さから2~3cm短いスキーをはいて、アプローチのバランスの確認や、スピードの変化をみる滑走テストや、空中におけるスキーの操作性の向上と、それにともなう風との相関関係を科学的に確認しながらのジャンプ練習を繰り返した。もちろん、平昌五輪の独特のジャンプ台を想定しての作業で、各選手が10本前後のジャンプを飛んだ。結果的に、これが功を奏した。 「直前合宿でいろいろと課題を再確認できて、どうすれば、さらに安定したアプローチ姿勢が組めるか、サッツでスムーズに踏み切ることができるかなどがわかり、オリンピックの本番に向けて、少し自信が出てきました」と、高梨も語っていた。W杯で無敗のまま平昌五輪を迎えた高梨は、ここで自信を取り戻した。 高梨の着地後に、真っ先にフィニッシュエリアに走り込んで『おめでとう!』と抱きついたのは伊藤有希(23、土屋ホーム)だった。高梨もそれが、うれしくてたまらなくなり、涙があふれ出た。 共に表彰台を狙っていた伊藤は、不運な追い風に泣かされた。あの強烈なバックの風では、ジャンプ後半に飛距離は伸ばせない。「この現実をしっかりと受け止めて、次へと進みます」。9位に終わり涙が出るほどの悔しさがありながら、伊藤は高梨の銅メダルを心から祝福した。 「今日こうして沙羅ちゃんがメダルを獲れましたし、日本チームで戦った試合だったと思います」 伊藤の存在は、高梨にとってかけがえのないものだった。苦しい4年を支えてくれた先輩であり“友”だ。 会場のバックスタンドには日本の応援団が陣取った。それも北海道下川町(伊藤有希)と上川町(高梨沙羅と勢藤優花)そしてエイブル(高梨沙羅の支援企業)などを合わせて100人もの大声援があった。 ともすれば閑散とした平昌ジャンプ台会場の応援席に、日本からおおいなる熱気を持ち込んだ各応援団が、この場で一致団結して、高梨を筆頭に日本チームの精鋭4選手に対して、大声で応援し続けていたのだった。 それはスタートバーに入った選手たちにしっかりと聞こえていた。 「銅メダル獲得は、あの応援の皆さんのおかげです」。高梨は、ていねいに感謝の気持ちを伝えた。 (文責・岩瀬孝文/国際スキージャーナリスト)