イエメン、「幸福のアラビア」いつの日か(4) ~「忘れられない戦争」~
「忘れられない戦争」
イエメンから予想外の帰国を余儀なくされて一カ月ほどがたった9月の後半、あるイベントにイエメン人学生がやって来るという話を知人から聞き、電車で都内の会場に向かった。イエメン人学生の名はアハマド(仮名)で、故郷を後にし、9000キロも離れた日本へやってきていた。彼の家族はイエメン国内に残ったままだ。 「日本に着いて、初めて電車の大きな汽笛を聞いた時、イエメンで経験した空爆を思い出しました。でも今は安全な日本にいるんだ、と我にかえりました」 彼の話の中で一番印象に残っている言葉だ。 日本の大学で勉強し、卒業後は仕事に就いていつかイエメンのために何かしたいとも語っていた。そんな彼自身、安全で平和な日本で暮らしながら、故郷の家族や友人のことを常に心配して生きていかなければならないだろう。 そして今、自分は無事に帰国し「安全」な日本社会にいる。一方で、ムハンマドやドライバーをはじめ、現地の人々は、戦争でどんなに厳しい状況下に置かれてもそこで暮らしていかなければならない。 電車に揺られながら車窓から外を眺める。 洗練された都会の街並みから穏やかな田舎の風景に移り変わっていく。イエメンで見聞きしたことががまるで嘘かのように、日本では淡々と平和な日常が流れていた。安全で平和な暮らしが享受できている安堵感と、依然として厳しい状況下に生きるイエメンの友人に対する罪悪感がないまぜになったような心境だ。 取材を始めた当初、イエメン人の知り合いは全くいなかった。しかし、ヨルダン、ジブチ、韓国、そしてイエメンと様々な場所へ赴き、多くのイエメン人と知り合い、話を聞き、いつの間にか親しい友人もできた。 時々連絡するイエメンの友人がやりとりの中で、「もう戦争に疲れた」とこぼしたことがあった。いつどこの戦争においても言われてきたことだが、「戦争による被害を一番受けるのは一般市民」だ。 国際社会において「忘れられた戦争」と言われているイエメンの戦争だが、少なくとも自分自身にとっては「忘れられない戦争」になった。今後もなんらかの形でイエメンとは関わっていくことになりそうだ。 いつの日か現地の人々が幸せに暮らせる「幸福のアラビア」に戻れる日まで。(終) ----------------------------- 森佑一(もり・ゆういち) 1985年香川県生まれ。2012年より写真家として活動を始め、同年5月に DAYS JAPAN フォトジャーナリスト学校主催のワークショップに参加。これまでに東日本大震災被災地、市民デモ、広島、長崎、沖縄などを撮影。現在は海外に活動の場を広げており、平和や戦争、難民をテーマに取材活動を行っている。Twitter, Facebook, Instagram: yuichimoriphoto