高齢の遺児が泣き声をあげ…硫黄島遺骨収集の「知られざる実態」
収集団が過ごすのは米軍施設
収集団一行が宿泊するのは、島中心部の滑走路に隣接する自衛隊の庁舎地区だ。その中にある「BEQ」と呼ばれる2階建ての米軍施設で生活する。BEQは「独身下士官宿舎」(bachelor enlisted man’s quarters)の略称だ。この建物は、訓練で訪れる米軍兵士のためにつくられた宿舎だった。だから、電気のコンセントは米国式で、建物内の掲示物は英語表記が多かった。 夕食後の自由時間は、そのまま団員同士の交流の時間となった。あちこちの団員の部屋で酒盛りが始まった。鹿児島県から参加した桑原茂樹さん(75)は、僕にとって最も交流を深めた一人だった。たくさんの話を聞かせてくれた。 桑原さんは父の出征時、母のおなかの中にいた。「まだか」と出産を待ち焦がれる思いなどをつづった硫黄島からの手紙13通を生涯大切にしている。遺骨収集の参加はこの時が8回目。「まるで今さっき兵隊さんが出ていったみたい」。そう錯覚するほど、軍服などがきれいに整理された壕に入ったこともある。亡くなった兵士に家族の元へ帰ってほしいと願い、遺骨が見つかるたびに心の中で「お家はどこですか」と語りかける。作業の休憩時間中は、よく海を見る。「島にいる間は父が隣にいるような気がするんです。父が見た海は、当時も今も変わらないでしょう」。切々とした口調で、そう語ってくれた。 近年、国内外の遺骨収集に参加する遺族は、桑原さんのような遺児世代だ。「収集現場で遺骨を弔うとき、高齢の遺児が『おとーさーん!』と子供のように泣き声をあげることもあるのですよ」。硫黄島やロシアなどの遺骨収集に携わる遺骨収集推進協会の職員は、そう話した。「きっと父のいない家庭で生活に苦しみ、つらく寂しい少年時代だったのでしょうね」。 つづく「まぎれもなく「生き地獄」…日本兵が米軍と戦う体力は残っていなかった「壮絶すぎる実態」」では、高齢者が多く安全なイメージのある遺骨収集作業の壮絶な実態についてレポートする。
酒井 聡平(北海道新聞記者)