孫正義は16歳で高校を中退したときからずば抜けていた…渡米先のカレッジの教師が証言する「鮮烈な印象」
■孫の固定観念を粉砕した「伝説の経営者」の教え アメリカにくる前から、孫はいつかかならず事業をやりたいという強い意志をもっていた。 勉強もビジネスに役立てなければあまり意味がない。 日本マクドナルド社長・藤田田(でん)著の『ユダヤの商法』を読んで感銘を受けた高校生の孫は、単身九州から上京して藤田に直接面会を申し込んだことがあった。 藤田は、この無謀な少年を社長室に招き入れ、助言を与えた。 「私が若ければ、食べ物の商売をしないで、コンピュータに関連したビジネスをやると思う」 アメリカにきて、マイクロコンピュータとの衝撃的な出会いをしてからも、孫は藤田のこの本を何度も読み返した。 「金儲けは、いいことだ。金にキレイ、キタナイはない」と藤田は言い切っている。 孫はこの本によって、日本人的な儒教倫理にしばられて、「金儲けはキタナイこと」と思い込んでいた固定観念を粉砕されたのである。 ■名門・UCバークレー経済学部に編入 孫正義はホーリー・ネームズ・カレッジを2年足らずで終え、高校1年の夏に短期留学で見たあこがれのカリフォルニア大学バークレー校一本に志望校をしぼった。受験といっても、3年編入という形になる。正義は志望する経済学部の秘書に電話をしてみた。 すると、教授会の会議で、正義を一番で入学させることに決まったとの回答を得た。あとは大学の事務局の手続きに問題がなければ、そのまま合格になる。 ホーリー・ネームズ・カレッジからバークレー校に編入できるのは、全体の10パーセントにすぎない。なんとしても、名門バークレーで学びたい。 1977年、正義はみごとカリフォルニア大学バークレー校の経済学部に編入できた。同じ年、仲よく優美もバークレー校に編入し天体物理学を学びはじめた。 ビル・ゲイツはそのときすでにハーバード大学を中退、アルバカーキーでマイクロソフト社を興していた。 ---------- 井上 篤夫(いのうえ・あつお) 作家 1986年にビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者)、テッド・ターナー(CNN創業者)を単独取材した。1987年、孫正義を初インタビュー、以来30年以上にわたって密着取材を続けている。深く鋭い洞察力には定評がある。著書に『フルベッキ伝』(国書刊行会)日本英学史学会 豊田實賞受賞、『志高く 孫正義正伝 決定版』(実業之日本社)はベストセラーになり英語・韓国語に翻訳された。『志高く 孫正義正伝 新版』(実業之日本社文庫)、『事を成す 孫正義の新30年ビジョン』(実業之日本社)、『とことん 孫正義物語』(フレーベル館)、『ポリティカル・セックスアピール 米大統領とハリウッド』(新潮新書)、『素晴らしき哉、フランク・キャプラ』(集英社新書)ほか。訳書に『マタ・ハリ伝 100年目の真実』(えにし書房)、『今日という日は贈りもの』(角川文庫)、『マリリン・モンロー 魂のかけら』(青幻舎)、『ミシェル・オバマ 愛が生んだ奇跡』(アートデイズ)などがある。 ----------
作家 井上 篤夫