孫正義は16歳で高校を中退したときからずば抜けていた…渡米先のカレッジの教師が証言する「鮮烈な印象」
■「将来、ビデオゲームを使ってビジネスをしたいんです」 生徒の国籍は日本、インドネシア、メキシコ、アメリカなどさまざま。20人のクラスのなかで孫は、とにかく目立った。 孫が印象的だったのは、彼は授業のあとも、よくカークをつかまえて質問をしたからだ。 「ビジネスをやりたいんです」 カークはまだ30代の後半、パートタイムの教師として赴任したばかりで、この強烈な印象を放った生徒を驚きをもって見ていた。 授業で学んだことは、あくまで実践しなければならない。そういうひたむきさに、カークは強い印象を受けたのである。この学生は、何をめざしているのだろうか。 「将来、ビデオゲームを使ってビジネスをしたいんです」 孫は語った。 むろんカークは、そのときは孫がテレビゲームの火つけ役になるとは思ってもいなかった(のちに孫は、日本からインベーダーゲーム機を輸入してビジネスをするが、このときすでにアイデアを練っていた)。 キャンパスにあるカフェテリアの前に、寮生たちがくつろげる場所があった。 小さなキッチンがあるものの、あまり活用されていなかった。 ■「学生食堂」で生まれた孫正義の経営哲学 孫は友人とビジネスをはじめた。 「学生に安くて、健康的な夜食を提供したいので、この場所を借りたい」 正義は大学の事務局にかけあって許可を取った。 チラシを配り、準備完了。 立地条件としてすばらしい。学生を常にふたり雇って、1日の営業時間は2時間とした。 ヤキソバ、見た目がレバニラ炒めに似ているモンゴリアンビーフン、ワンタンスープなどを安く提供した。味もなかなかいいと評判だった。 片づけや準備などを入れて、1日4時間、時給2.5ドル支払った。 大反響だったが、思いがけないトラブルに見舞われる。友人に売上げをごまかされたのだ。信頼しきっていただけにショックだった。金がからんでくると、たとえ友人でも問題が起きる。 半年あまりで「孫食堂」は廃業ということになったが、いい経験になった。 こうして孫の経営哲学のひとつの原則が生まれる。 ビジネスはひとりではできないが、パートナー選びは慎重でなければならないのだ。